原曲標題:命に重さがあるのなら
作詞:葵木ゴウ
作曲:葵木ゴウ
vocal:裏命
翻譯標題:如果生命具有重量的話
翻譯:星櫻
二十二を過ぎたあたりから體の重さを感じないんだ
死んだ魚の目で四季の経過を眺めてる
命に重さがあるとするならば
僕のそれは秋風に吹かれて舞う枯れ葉と同じだ
22歲時開始感覺不到身體的重量,
用死魚般的眼瞳,凝望四季的變遷。
如果生命具有重量的話,
我的重量肯定跟被秋風吹動的枯葉沒兩樣。
驟雨に溶けてなくなってしまうほど薄弱なものだ
是脆弱得彷彿會溶於驟雨的東西。
何かを成し遂げたり
努力を惜しまなかったり
二つとない才能や誇れる物があったり
それらが命の重さに
延いては人としての価値になるんなら
あぁ、僕はたかが知れてるよな
達成過些什麼、
曾為什麼不惜努力過、
擁有什麼獨一無二的才能或值得誇耀的事物、
這些都會逐漸變作生命的重量,
也就是作為的人的價值的話。
啊啊,我明白自己的價值了呢。
十月二十日の赤橙に染まる相模原と六畳間
金木犀の匂い
はしゃぐ子供たちの聲
「命は等しく尊いものだ」と教えられはしたけど詭弁だろ
なぁ、神様とやら
10月20日染上赤橙色的相模原與三坪房, 註:相模原,日本城市名。
紅桂花的香氣,
孩子們的嬉鬧聲,
「生命同樣平等、尊貴」曾被這樣教導過,完全是歪理吧。
吶,神啊,
空疎な僕と彼らの未來が同等なものか
空虛的我和他們的未來,能是同樣的東西嗎?
誰かを愛してたり
誰かに愛されてたり
必要とされてたり
期待、未來があったり
それらで人を量るなら
"生きているかどうか"の解になるんなら
あぁ、僕は疾うに死んでたのか
去愛誰、
被誰所愛、
被誰覺得需要、
承受期待、擁有未來,
若是用這些去測量人,
得出"是否活著"的答案的話,
啊啊,我早就被算在死那邊了吧。
二十四を過ぎたあたりから薬がないと寢れなくなった
微睡みの最中で理想ばっかり描いてる
書き捨てた歌詞の殘骸を枕代わりにして
朝を迎えるといつも文字が滲んでる
24歲時,不依賴藥物已經睡不著了,
在淺眠的夢境描繪出無數理想,
將寫到一半放棄的歌詞殘骸作為枕頭,
迎來早晨時文字總是沉澱暈開。
「生きたい」と思えないのに
命に縋り付く手に
刻まれた傷跡は寂寥の年月
未練を焼べる、夕日に
「この街ごと全部を焼き盡くせばいい」
「想活下去」明明沒這麼想過。
但緊黏在生命上的手,
刻下的傷痕訴說著寂寥的歲月。
讓夕日,焚燒掉遺憾,
「連整座城鎮都燒掉就好了」
ただ
春の桜吹雪に
夏の蟬時雨に
秋の黍嵐に
冬の白雪に
かき消されないくらいの命がずっと欲しかった
只是,
春的櫻吹雪、
夏的蟬時雨、
秋的黍嵐、 註:黍嵐,秋季的強風。
冬的白雪、
渴望著不被四季磨耗殆盡的生命罷了。
ただ、それだけ
只是,如此而已。
譯者的話:
書き捨てた歌詞の殘骸を枕代わりにして
朝を迎えるといつも文字が滲んでる
將寫到一半放棄的歌詞殘骸作為枕頭,
迎來早晨時文字總是沉澱暈開。
這兩句我認為意思是,本來怎麼想都想不出來的歌詞,到睡前才突然想到怎麼寫才能把廢案寫好,然後到了早上就又變得模糊不清。
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