原曲標題:才能なんか
作詞:葵木ゴウ
作曲:葵木ゴウ
vocal:音街ウナ
翻譯標題:才能什麼的
翻譯:星櫻
僕に才能なんかないなら
もっと早く教えて 神様
お陰で行くも帰るも もうできん場所に來ちゃった
そんな顔をしないでよ 母さん
こんな歌 歌ってごめんな
でも そうしなきゃ僕が僕でいられない日々だ
才能什麼的,我根本沒有的話,
能不能早點告訴我啊,神明大人。
多虧您,已經來到進退都不行的地方了。
還請您別露出這種表情啊,媽媽,
對不起,我口中唱的是這種歌。
但是,我不這麼做日子就要過不下去了。
夜勤明けの駅は凪いで 朝を焼いて
すてっぱちな僕の生活を暴いては嘲笑う
容赦がないよな
剛值完夜班的車站風平浪靜,烈日燒起天空,
把我可悲的生活攤在日光下嘲笑。
毫不留情呢。
憧れだったミュージシャンが嫌いになったのは去年の春先
「夢は葉うのさ」って戯言を歌ったから
諦めること ちょうどいい引き際も
大事だってちゃんと歌ってよ
綺麗な言葉だけで生きてけりゃどれほどか
討厭曾憧憬的音樂家是去年初春的時候。
因為他唱著「夢想是會實現的」這種蠢話。
接受放棄和適當的收手時機,
不也都很重要嗎,好好唱出來啊。
要是只靠漂亮話就能活下去該有多好?
僕に才能なんかなかった
疾うに周知の事実ですか
行くも帰るも才能なら 僕は肉塊以下だ
こんな歌を歌わないで済む人生はどこに売ってんのさ
道端に転がる吸いさしが まさに僕だ
才能什麼的,我根本就沒有,
早已是眾所皆知的事實了。
但若論到選擇進退的才能,我比一塊肉還不如。
能不需要唱這種歌的人生到底哪裡才有賣?。?/font>
滾落在路邊的菸蒂,簡直就是我。
1Kの牢で橫臥
日が暮れて満月の明るさを知った
そうだ もう僕には逃げ場がないのだ
橫躺在1K的監牢, 註:1K,只有廚房、浴室的套房,k指kitchen
太陽的西沉換來滿月的皎潔。
沒錯呢,我早已無處可逃。
ここから出ていくためには死ぬしかねぇ
夢なんて持たぬが身のため
明日は我が身だと震える余生 クソくらえ
下を見てみろ 精神論者ども
僕は全てに負けたぞ
線路に橫たわる敗者の聲は聞こえてんだろ
想逃離這裡只剩死一條路。
不去懷抱夢想是為了自保。
為了明天可能遭遇的不幸顫抖的餘生,都吃屎去吧!
看看腳下吧!精神論者們。
我可是輸得一點都不剩啊。
橫臥在鐵軌上敗者的聲音,想必你們不會聽到啦。
四季の移ろい 人の営み
勝者だけに許された贅の極み
時間なんてない
若いやつらに後ろ指さされてばっか 立つ瀬がない
僕が座る椅子はもうない
世間體 プライド 心中も辭さない
「生きていたい」なんて言えない
四季的遷移、人與人的交際。
是只有勝者才得以享受的極上奢侈。
根本就沒這種時間可用。
只是整天被年輕的傢伙在背後指指點點,無地可站。
當然,也沒有屬於我的座位。
外在、自尊,都無法放下。
「想活下去」根本說不出口。
項垂れた頭に空いた風穴
どこで道を間違えたかな
14の秋にギターを手にしてからか
今じゃゴミを漁る浮浪者を見て 他人事だとは思えねぇ
垂頭喪氣的臉上破了個洞。
是從哪裡開始弄錯的?
是14歲的秋天拿起吉他的時候嗎?
現在看到拾荒的遊民,已經無法覺得事不關己了。
憧れだったミュージシャンが嫌いになったのは去年の春先
「夢は葉うのさ」って戯言を歌ったから
諦めること ちょうどいい引き際も
大事だってちゃんと歌ってよ
綺麗な言葉だけで生きてけりゃどれほどか
討厭曾憧憬的音樂家是去年初春的時候。
因為他唱著「夢想是會實現的」這種蠢話。
接受放棄和適當的收手時機,
不也都很重要嗎,好好唱出來啊。
要是只靠漂亮話就能活下去該有多好?
僕は才能なんかないけど
最後に一つだけいいかな
結局、行くも帰るももう自分次第だってさ
「夢を持つならそれでもいいが、目測だけは見誤るな」
それさえ分かってりゃ大抵はどうとでもなるそうだ
才能什麼的,雖然我根本沒有。
但最後還請讓我說一些。
終究,要進要退都還是決定在自己。
「要抱持夢想也沒關係,但要保持著客觀。」
只要明白這點,大多都會有辦法的。
厭世と多幸は表裏一體だ
厭世和多幸是表裏一體的。
譯者的話:
明日は我が身だと震える余生 クソくらえ
為了明天可能遭遇的不幸顫抖的餘生,都吃屎去吧!
「都吃屎去吧!」是字面直翻,而且怎麼翻都該是髒字,別種翻法「去他媽的、去死一死啦」之類的。
"我很喜歡這首歌的青澀感,很像高中生公開亂罵一通,然後還帶點若有似無的道理,收尾還想辦法抓著這些道理,想辦法把這首歌圓成不是那麼厭世的歌。
最後一段我以前聽著覺得很畫蛇添足,但現在覺得,要公開提前面那些還真需要不少勇氣,最後膽小的拉回去,反而顯得很青澀,而我喜歡的就是這股真摯的青澀。
有翻得不好或其他不好的地方請不吝嗇給予建議
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