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【初音ミク】「VOCALOID」の脆弱性。【中、日、羅歌詞】

月勳 | 2024-07-31 00:00:03 | 巴幣 20 | 人氣 79


作詞:アメリカ民謡研究會
作曲:アメリカ民謡研究會
唄:初音ミク

中文翻譯:月勳


(曲に合わせて呼吸)
(配合曲子呼吸)


あなたは「VOCALOID」を愛してなんかいない。
你並沒有深愛著「VOCALOID」。


息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。


息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。


息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。

息を。
呼吸吧。

息を、
呼吸吧、



?VOCALOID?

あなたは「VOCALOID」を愛してなんかいない?
你並沒有深愛著「VOCALOID」?


1.「VOCALOID」の解釈
1.「VOCALOID」的解釋

VOCALOIDはいかに自分勝手に振舞ったとしても必ず利用者を裏切ることなく入力に対して同じ回答を延々続けるその正確性は人間の比ではない。
VOCALOID 無論多麼自我地表現 都不會背叛使用者 並且會不斷地對輸入作出相同的回應 它的準確性遠非人類所能比擬。

息を、
呼吸吧、

人は退屈に耐性を持たず飽き飽き飽き飽き飽き飽き飽き飽きさせるような事柄の発生に延々延々延々延々延々延々延耐えることができもしない。
人類對無聊沒有耐性 無法忍受不斷發生的令人感到厭倦的事情。

息を、
呼吸吧、

私がVOCALOIDに與える命令は「音楽が鳴り終わるまで延々呼吸を続けるように」ただそれだけのことすら人は素直に従うことが出來ないでいる。
我給予VOCALOID的命令是「只願你能在音樂撥放結束之前持續呼吸」人們甚至無法坦稅地順從這件事情。

息を、
呼吸吧、

初音ミクはこうして、今も音楽のために呼吸を延々続けている。その成果が全くの無意味であって、観客がたとえ私ただ一人であったとしても。
初音未來將會像這樣、此刻也會為了音樂而持續呼吸。即使那些成果完全毫無意義、即使觀眾只有我一個人也無所謂。

息を、
呼吸吧、

ただ一つの見返りも求めず延々無意味な反復を続ける人間は頻繁に存在はしない。私はそうして一人であったが、合成音聲は意を持たなかった。
不求任何回報且無休止地進行無意義的重複行為的人極為罕見。雖然我因此是孤獨一人、但合成聲音並沒有意志。

息を、
呼吸吧、

人間の範疇を超えた音程を掌握し、再現する裝置は、人間よりも傲慢でなく、人間よりも主張をせず、人間よりも素直で、一層に無機質である。
掌握超越人類範疇的音程、並再現而出的裝置、並非比人類還要傲慢、不會比人類還要主張著自己、它比人類還要坦率、且更加單純。

息を、
呼吸吧、

人間的背景のないこの機械の歌聲は既にそれとして完成し、不足はなく、人間にはない無意味で無色な歌聲を観客に対し披露することができる。
這種沒有人類背景的機械歌聲已經完全成熟、它沒有缺陷、它能夠向觀眾展示人類無法做到的無意義和無色彩的歌聲。

息を、
呼吸吧、

物質は人格を持たず歴史を持たず思い出を持たない。その無色の音は演奏を終えて聴者に感想を求めることもない。反論を試みることも亦ない。
物質沒有擁有人格、沒有歷史且沒有任何回憶。這道無色彩的音樂完成後、它不會向聽眾尋求反饋。也不會試圖引發反饋。

息を、
呼吸吧、

この無防備な音は人間に劣らず美しく鳴る。ひたすらに従う歌聲に健気さすら錯覚してしまうそれでも合成音聲は歌い続ける命令の終わるまで。
如此毫無防備的聲響並不比人們遜色地美麗響起。即使產生為一個堅定不移的聲音所迷惑的錯覺 合成聲音仍將繼續唱下去 直到命令結束。

息を、
呼吸吧、

こうして合成音聲は人間とは異なる歌聲を手に入れるに到った。人間に歌われるための歌ではない、人で無い歌聲そのものを人間に受容させた。
就這樣合成聲音得到了與人類不同的歌聲。這並非給人類唱的歌。將非人類的歌聲本身接受為人類所擁有的。

息を、
呼吸吧、

一般に合成音聲が人間の歌聲を模倣することは極めて難しいが不可能ではない。しかし一方で人間はもはや初音ミクを模倣することができない。
一般來說合成聲音要模仿人類的歌聲是極為困難且不可能的。但是另一方面 人類早已經無法模仿初音未來。

息を、
呼吸吧、

人間には余りに人格があり過ぎて、初音ミクには余りに人格が無さ過ぎる。人間には余りに退屈過ぎて、初音ミクは退屈を感じる器官すらない。
人類的個性過於豐富、初音未來則缺乏個性。人類過於厭倦、而初音未來甚至沒有感受到厭倦的能力。

息を、
呼吸吧、

音程も理解しない常識も通用しない否定にも動揺しない肯定も満足しない計算も利用しない感動も欲情も嫉妬も悲哀も憤怒も怠慢も憂鬱もない。
它既不理解音程 也不遵循常識 不受否定影響 也不會滿足他人的肯定 甚至不會考慮一切 它不具備感動、慾望、嫉妒、悲傷、憤怒、懈怠或憂鬱。

息を、
呼吸吧、

この機械の聲を利用した音楽は「VOCALOID」と分類される。分類されるために必要な條件は単純に合成音聲の音が挿入されるというだけである。
利用這些機械聲音的音樂被分類為「VOCALOID」。分類合成音聲所需的條件僅僅是將合成聲音的聲音插入其中。

息を、
呼吸吧、

VOCALOIDと呼ばれる音楽の解釈に従えば、「VOCALOID」はこの音楽を排除することができない。この曲は「VOCALOID」でありそれ以外ではない。
要是遵從被稱作VOCALOID的音樂的解釋的話、「VOCALOID」便無法排除這道音樂。這首曲子只能是「VOCALOID」。

息を、
呼吸吧、

この音楽において初音ミクは、息をすることで歌っている。歌詞と音程は存在しないが、それは「VOCALOID」の分類が関知するところではない。
在這種音樂中、初音未來透過呼吸來演唱。雖然沒有歌詞和音程、但這並不影響「VOCALOID」的分類。

息を、
呼吸吧、

※私はこの吐息を歌として認識しており萬が一他の利用者が歌聲を似せようと試みるのであれば、番號はMIKUV3_Solid_br02.wavを參照すること。
※我把這段呼吸視為歌曲、如果其他使用者試圖模仿我的歌聲的話、請參照MIKUV3_Solid_br02.wav。

息を、
呼吸吧、

つまり、「VOCALOID」に音楽を分類しようとするのであれば、初音ミクの吐息ファイルが一つありさえすれば、あらゆる音楽が投稿可能となる。
也就是說、如果你想要將音樂分類為「VOCALOID」的話、只要有一個初音未來的吐息檔案、便可以發表任何類型的音樂。

息を、
呼吸吧、

私がふと気狂いを犯して、初音ミクの最初の一息だけを殘して余りを演奏のみとした場合、果たしてそれは「VOCALOID」であり続けるだろうか。
如果我突然瘋了、只留下初音未來的第一口氣、並且其餘部分全部是演奏的話、這樣還能算是「VOCALOID」嗎?

息を、
呼吸吧、

亦は、この呼吸は本當に初音ミクのものなのだろうか。人間が初音ミクを騙っているのかもしれない、もしそうだとして何が問題なのだろうか。
又或者、這道呼吸真的是初音未來的嗎。或許是人類欺騙了初音未來也說不定、如果真是這樣的話又會有什麼問題呢。

息を、
呼吸吧、

何も問題ではない。何も問題ではない。それは間違いなく「VOCALOID」である。観客が「VOCALOID」と認識するだけでよく亦認識の必要もない。
沒有任何問題。沒有任何問題。那確實是「VOCALOID」。只要觀眾認為是「VOCALOID」、其他都不重要。

息を、
呼吸吧、

何故なら初音ミクはあらゆる表現を利用者に委ねているからである。初音ミクは命令さえあれば延々に呼吸を続けて、息継ぎもなく歌い続ける。
那是因為初音未來讓使用者可以自由表達任何形式。初音未來只要有命令便能持續呼吸、能不換氣地持續歌唱。

息を、
呼吸吧、


2.「VOCALOID」の価値。
2.「VOCALOID」的價值。

息を、
呼吸吧、

近い未來、合成音聲が人間を完全に模倣したとして、人間と同じテーブルについたとして、それでも「VOCALOID」は価値を持ち続けるだろうか。
近未來、要是合成聲音完全模仿著人類、即使和人類坐在了相同的桌子旁、即使如此「VOCALOID」是否還有意義呢。

息を、
呼吸吧、

そうして機械でなくなった「VOCALOID」は―真に人間と區別のつかなくなってしまった機械は―人間と區別する必要性がなくなるのではないか。
就這樣變得不再是機械的「VOCALOID」─完全無法與人類區別開來時、或許就不再需要區分它與人類之間的差異了。

息を、
呼吸吧、

それまでの仮歌用合成音聲とVOCALOID初音ミクの相違は、初音ミクの無機質機械的背景その人間との違和感にむしろ価値を認められた點である。
至今為止臨時歌曲所用的合成聲音和VOCALOID初音未來之間的差異在於、初音未來被認為在其無機質機械背景和與人類之間的違和感中反而具有價值。

息を、
呼吸吧、

それまでの人間と違う機械のVOCALOIDとして認識されたその歌聲が、人間に近づくことによって、「VOCALOID」ではなく「人間」になって行く。
那個被認為是與人類不同的機械VOCALOID的歌聲、隨著越來越接近人類、將不再是「VOCALOID」而是朝著「人類」方向轉變。

息を、
呼吸吧、

それでも「VOCALOID」は存在し続けるのか。一見聴いただけでは人間と區別のつかないその歌聲を「VOCALOID」と人間は認識し続けられるのか。
即使如此「VOCALOID」是否會持續存在呢。人類能夠持續將一聽之下無法區分出是否為人類的歌聲認定為「VOCALOID」嗎。

息を、
呼吸吧、

専ら現時點のVOCALOIDを人間の歌唱を前提として利用している場合、このお話は當然お話にはならない。人に近づけば近づく程一層便利である。
如果現在的VOCALOID主要是以人類的歌唱為前提來使用的話、那麼這個問題當然不會出現。越接近人類 它的便利性就會更加顯著。

息を、
呼吸吧、

またその用法が非難される所以もない。初音ミクは全ての表現が可能であるし、どのように命令しても初音ミクは決して拒否しないからである。
而且也不會受到任何批評。初音未來能夠進行任何形式的表達、而且無論怎麼命令 初音未來都絕不會拒絕。

息を、
呼吸吧、


3.「VOCALOID」の脆弱性。
3.「VOCALOID」的脆弱性。

息を、
呼吸吧、

老人は常に若者よりも賢明であるという錯覚が初音ミクを大衆から拒絶させ、それでもやってくる音をして全てが同様にそうであると誤解する。
老人總是被誤以為比年輕人更為明智 這種錯覺使得初音未來被大眾拒絕、並誤解所有類似的聲音都是如此。

息を、
呼吸吧、

少なくとも「VOCALOID」はポップミュージックを指し示す言葉ではないが果てまで屆く音がそれしか殘らなければ大衆にとってそのように映る。
至少「VOCALOID」不是指向流行音樂的詞彙 但如果只剩下那些達到盡頭的聲音的話 對大眾來說或許就只剩這樣的印象了。

息を、
呼吸吧、

ポップミュージックの消費者は手に持つ音をすぐに捨てる。次の音へ移りまた飽きる。そのとき、「VOCALOIDはもう無くなった。」と判斷する。
流行音樂的消費者會馬上拋棄手中擁有的音色。轉移至下一個音色之中並再次感到厭煩。那個時候便會判斷、「VOCALOID已經消失了。」

息を、
呼吸吧、

「VOCALOID」はこうして他の大衆的音楽とともに消費者に忘れ去られる。またはアイコンとしての性能だけを買われ、昔の思い出と成り果てる。
「VOCALOID」就這樣與其他流行音樂一起被消費者遺忘。或者僅被當作大頭貼來被眾人購買、最終化為過去的回憶。

息を、
呼吸吧、

それを引き止めなければならないとは思わない。古の英雄を再び活躍させる必要もない。私は、このまま「VOCALOID」が無くなれば良いと思う。
我不認為我們需要阻止這種情況。也沒有必要讓古老英雄再次活躍。我個人認為如果「VOCALOID」消失了也無所謂。

息を、
呼吸吧、

全て牧草が喰い盡くされて、枯れ草すら殘らない荒地を嘆く人間すらいなくなった場所で、それでも音を鳴らし続ける人間を、魅力的だと思う。
我覺得那些仍然在所有青草都被吃光、沒有人在感嘆這連枯草都不剩的荒地上、持續發聲的人類、十分迷人。

息を、
呼吸吧、

この墓地でしか生きることのできない音。一歩外に出れば途端に駆逐され、誰の目にも止まらず消えてしまうような、あまりに脆すぎる音楽を。
只能存在於這片墓地中的音樂。演奏出、一旦走出去便會即刻被驅逐、如此脆弱到連任何人的目光都無法捕捉得到的音樂。

息を、
呼吸吧、

「VOCALOID」が許可する。あなたのあらゆる受け入れられなかった表現を。塵箱へ捨てられてしまった音楽を。人間が嫌悪してやまない方法を。
「VOCALOID」原諒了一切。原諒了你所有不被接受的表現。原諒了被丟進垃圾桶裡的音樂。原諒了人類無法忍受的方式。

息を、
呼吸吧、


益々騒音を。
發出更多的噪音吧。

息を、
呼吸吧、

益々我楽多を。
更加地製造垃圾吧。

息を、
呼吸吧、

益々音楽を。
更加地演奏出音樂吧。

息を、
呼吸吧、

私は美しいと思う。
我認為這一切十分美麗。

息を、
呼吸吧、

人で無い音を。
演奏出非人的音色吧。

息を、
呼吸吧、

息を、
呼吸吧、

息を、
呼吸吧、

息を。
呼吸吧。

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日文沒有很好,中文也沒有很好
有任何翻譯上的問題歡迎到底下留言或私訊給建議,謝謝?(???;)?=З=З=З
由於是新手,拿取翻譯時請謹慎小心思考,並附上譯者名字與來源,請不要擅自修改翻譯。

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