「生きるよすが」
活著的依托 ※註1
作詞作曲:ユリイ?カノン
編曲:月詠み
譯:三無(wú)氣體
夜の藍(lán)に咲いて満ちていけ 生きるよすが
傷も噓も痛みも詩(shī)になれ
夢(mèng)を、愛(ài)を書(shū)いて何を救えますか
憂う空を染める光になれ
於夜色之藍(lán)綻滿盛開(kāi)吧 活著的依托
傷口、謊言與痛楚都化作詩(shī)歌吧
寫(xiě)下夢(mèng)想、寫(xiě)下愛(ài)情又能拯救些什麼呢
化作能為鬱悶天空添上色彩的光芒吧
この世にありふれた幸福の形
それじゃ空いた穴は埋められない
平凡幸福的形體滿遍於世界
但僅此並無(wú)法填上洞口的空缺
噓つきなんだ僕は 生きているだとか
この機(jī)械みたいな心でさ
出來(lái)ない 解らない 変わらない
言葉達(dá)は無(wú)価値な音色と化す
満たされない 葉わない
こんな歌じゃ
ああ だれの心も照らせない
我是個(gè)騙子啊 謊稱自己活著什麼的
就憑我這機(jī)械般的心靈
無(wú)法達(dá)成 無(wú)法理解 無(wú)法改變
言語(yǔ)皆成了無(wú)價(jià)值的音色
無(wú)法充實(shí)填滿 無(wú)法實(shí)現(xiàn)
僅靠這樣的歌曲
啊啊 無(wú)法為任何人的內(nèi)心帶來(lái)光明
夜の哀を裂いて薙いでいけ 生きるよすが
間違いも答えも今日も未來(lái)も詩(shī)になれ
奏でたこの聲が いま聴こえますか
愚かな僕の馬鹿げた叫びを
將夜晚之哀劃破割裂而行吧 活著的依托
錯(cuò)誤、正解、今天與未來(lái)都化作詩(shī)歌吧
我奏響的這份聲色 你聽(tīng)得見(jiàn)嗎
能聽(tīng)見(jiàn)這愚蠢的我所做出的可笑吶喊嗎
どうか こんな命に
明日を生きる理由をくれよ
どうか 僕を見(jiàn)つけて
慥かに在る真晝の月を
拜託了 請(qǐng)賜予這種人生
能活於明日的理由吧
拜託了 請(qǐng)找到我吧
找到那確實(shí)存在於高照豔陽(yáng)身後的月亮吧 ※註2
言葉を飲み込んだ喉が疼いた
胸に痞える これは何か
將話語(yǔ)嚥下的喉嚨作著痛
悶堵於胸口的這 又是什麼呢
心を呑み込んだ闇を仰いだ
差した茜に 手を伸ばす
仰望著吞沒(méi)自己內(nèi)心的夜空
向那劃出的曙光 伸出手 ※註3
全てがそりゃ報(bào)われるものじゃない
時(shí)間も金も無(wú)駄になるかもな
いつかは過(guò)去に消えていく
それでも僕が歌うのはここに生まれたから
也不是所有事情都將有所回報(bào)
時(shí)間與金錢或許都將一去不返
總有一天都將成為過(guò)往消逝而去
即便如此我依然歌唱 因我已生於此
正しいだけじゃ救えないものもある
泣かないことが強(qiáng)さだってんなら
僕は弱いままでいい
並不是所有東西都能為正確的事物所拯救
如果說(shuō)忍下淚水才能稱作堅(jiān)強(qiáng)
那就讓我維持我的軟弱吧
夜の哀を裂いて薙いでいけ 生きるよすが
間違いも答えも今日も未來(lái)も詩(shī)になれ
將夜晚之哀劃破割裂而行吧 活著的依托
錯(cuò)誤、正解、今天與未來(lái)都化作詩(shī)歌吧
わからない
才も人生もわかるものか
噓だらけでも
それでも、
我不理解
才識(shí)還是人生什麼的鬼才懂啊
就算這一切都只是謊言
即便如此,
生きろ
活下去吧
愛(ài)も何も無(wú)くたって明ける夜だ
生まれた理由なんて後付けだっていい
就算沒(méi)有愛(ài)也一無(wú)所有 黎明依然會(huì)到來(lái)
出生在世上的理由什麼的等之後再補(bǔ)上就好了吧
死にゆく様を それを美と呼ぶな
散る為に咲く花なんて無(wú)いだろ
別把邁向死亡的形貌 稱作是美啊
才沒(méi)有花是為了凋零才綻放的吧
醜い程に美しいものを
欠けた心を埋めてくれよ
以甚至醜陋的姿態(tài)把美滿的事物
將這空洞的內(nèi)心填滿吧
どんな歌で どんな言葉で
昏い夜のよすがになれる?
以何種歌曲 何種話語(yǔ)
才能成為昏暗夜晚的依托?
神様に願(yuàn)うのは ただ一つだけ
向神明祈求的心願(yuàn) 僅此而已