作詞:ひとみ
作曲:ひとみ
歌:あたらよ
翻譯:伊亞修斯
花びら散る午前2時に
花瓣飄落的半夜兩點
誰かが泣いていたんだ
在那裡有人流下了淚
差し伸べた掌の上
伸出的手掌上
殘った花は萎れていた
殘存的花已經枯萎
変われないのならそこまで
若改變不了又何必做到那種地步
変わりたくないものまで
就連那些不想改變的事情
変わってしまうのは何故でしょう
也全都改變了 這究竟是為什麼?
茜色染まる空の下
染成暗紅色的天空下
僕らはそれを愛と呼んだ
我們將它稱之為愛
普遍的な何かが創った
隨處可見的某人所創造的
くだらない形の愛を
有著無趣的形式的愛
でこぼこなままで良いと抱きしめ
凹凸不平也無所謂 想將其緊緊抱住
心が傷つくことなど
即使心會因此受傷
その棘さえも愛おしいと
就連那刺都如此惹人憐愛
泣いたあの日を想っている
回想著流下眼淚的那一天
思い出散る午前3時
回憶消散的半夜三點
誰かが笑っていた
有人露出了笑容
木漏れ日のような街燈に
路燈就像是枝葉間透出的陽光
濁った夜を預けていた
我將混濁的夜交給了它
分からないのならそこまで
如果不懂的話又何必做到那種地步
分かり合えない事まで
連無法彼此理解的事情
分かったフリするのは何故でしょう
也要裝作自己了解 這究竟是為什麼?
茜色染まる空の下
染成暗紅色的天空下
僕らはそれを愛と呼んだ
我們將它稱之為愛
普遍的な何かが創った
隨處可見的某人所創造的
くだらない形の愛を
有著無趣的形式的愛
でこぼこなままで良いと抱きしめ
凹凸不平也無所謂 想將其緊緊抱住
身體が傷つくことなど
就算會傷害到身體 也覺得
その棘さえも愛おしいと
就連那刺都如此惹人憐愛
泣いたあの日を描いている
想像著流下眼淚的那一天
心が傷つく事など知らない
不在乎會不會傷到自己的心
分からないこと集めていた
將自己不了解的事都收集起來
知らないものばかり集めては
那晚 光顧著收集未知的事物
解けないでいた夜
而無法解開心中困惑
そうやって拾った燈で
就這樣撿起的那燈光
照らした夜には
所照亮的夜晚裡
誰かがきっとそう
我覺得一定有人
寄り添ってくれて居ると思うんだ
會願意來待在我身旁 我如此想著
茜色染まる空の下
染成暗紅色的天空下
僕らはそれを愛と呼んだ
我們將它稱之為愛
茜色染まる空の下
染成暗紅色的天空下
僕らはそれを愛と呼んだ
我們將它稱之為愛
普遍的な何かが創った
隨處可見的某人所創造的
くだらない形の愛を
有著無趣的形式的愛
でこぼこなままで良いと抱きしめ
凹凸不平也無所謂 想將其緊緊抱住
身體が傷つくことなど
就算會傷害到身體 也覺得
その聲さえも愛おしいと
連那聲音都如此惹人憐愛
泣いたあの日を覚えている
仍記得流下眼淚的那一天
僕ら変われないまま
而我們還是無法改變
?僕らはそれを愛と呼んだ?
「我們將它稱之為愛」
個人的にとっても好きな曲
是我個人非常喜歡的一首歌
作り始めてすぐ、サビが浮かんできた時に
剛開始製作歌曲,副歌從腦海裡浮現的時候
これだ。これしかない!!という強い感覚があったのを今でも鮮明に覚えてる
「就是這個!非這首不可!」當時就有這種強烈的感覺。即使是現在也記得很清楚。
でこぼこで棘のある貴方だとしても
「即使是凹凸不平充滿刺的你也好
自分が傷つく事すら恐れずに抱きしめられる私でありたい
就連會傷害到自己這件事也不畏懼,希望我能緊緊擁抱住你。」
そんな曲です。愛してくれ
就是這樣的歌。希望大家都能去愛這首歌
(翻譯自ひとみ的推文)
這次的新歌還是一樣好聽。我總覺得自己能從あたらよ的歌中得到勇往向前的動力。
在「52」這首歌,ひとみ寫到對他人話語的恐懼,以及夢想無法實現的失落,進而渴望「希望至少我能去愛我自己」
在「out cry」這首歌,ひとみ寫到對孤獨的恐懼,以及自己內心中的無力感,道出自身的軟弱之後,「就這樣,繼續生活下去。」
在「僕らはそれを愛と呼んだ」這首歌,ひとみ寫到不惜傷害到自己,也希望能夠毫不畏懼地去愛「滿身是刺的對方」
比起戀愛向的情歌,我更喜歡ひとみ所描寫的這種純粹的愛,這種對任何重要之人都可能抱有的愛。
ひとみ寫歌詞的情境塑造還是一如往常的厲害,轉換視角的感覺就像小說一樣。
主歌第一段用第三人稱以景寫情,第二段用第一人稱拋出問題,進副歌則吶喊出自己的心情。
第一次副歌結束後再重複一遍前面的模式,第二次副歌結束後則再以另一種方式寫景與抒情。
最後在副歌將前面堆積的情緒一口氣爆發出來,實在令人聽得太暢快了......。
沒想到在歌釋出前他就翻譯完了。(看得出來大大真的對あたらよ很有愛......)
雖然我和Murphy大大有些解讀不同的部分,但他也翻得不錯。
像是這一段:
変われないのならそこまで
変わりたくないものまで
変わってしまうのは何故でしょう
Murphy大大翻成:
若是無法改變便到此為止
連同不願改變的事物
都徹底改變了 究竟是為何
我翻成:
若改變不了又何必做到那種地步
就連那些不想改變的事情
也全都改變了 這究竟是為什麼?
簡單解釋一下差異就是:
Murphy大大是把「変われないのならそこまで 」單句翻出來。
若是無法改變便到此為止 (肯定的語氣)
我的翻法是把「変われないのならそこまで変わってしまうのは何故でしょう 」擺在一起看。
整句是:若無法改變的話,那究竟為什麼卻會改變到那種地步呢?(質問的語氣)
配合字數和分段而把「変われないのならそこまで 」翻譯成:「若改變不了又何必做到那種地步」
如上所敘,雖然因為各自的解讀和寫作習慣導致翻法稍有不同,不過Murphy大大有些用字我覺得很漂亮,推薦大家可以去看看!