今天要來翻譯雜誌 HIGHSNOBIETY的井口專訪
很普通的對談
不過不同以往專對常田或是對樂團所有成員的對談不同
這次的對象只有井口
覺得挺稀奇的
雖然這樣的對談沒意外應該會慢慢變多
不過
就來看看吧
對談似乎還不是完整的
要買雜誌在能看全文
有興趣的朋友文章最後有官方給的連結
可以看看!
日本の音楽シーンを牽引するバンド、「King Gnu(キングヌー)」のフロントマンとして活躍するヴォーカリスト、井口理。ロックサウンドにシアトリカルな物語性を與える稀有な歌聲を武器に、躍進のきっかけを生み出したキーマンだ。
牽引者日本音樂潮流的樂團, 作為「King Gnu(王牛)」主唱活躍的歌手, 井口理。在搖滾音樂界用他那充滿藝術且具故事性的稀有歌喉為武器, 為樂團的躍進作貢獻的重要人物。
King Gnu前身バンド、Srv. Vinci時代、ライブハウスには両手で數えきれるオーディエンスしかいない日があった。しかし、スキルフルな才能集団であったバンドは、井口のハイトーンヴォイスを武器に自由度の高いフロントマンとしての可能性を見いだし、日本のロック / ポップミュージックをアップデートすることを目的に進化してきた。気がつけば、今年のフジロックフェスティバルではKing Gnuに改名した2017年の初出演から、たった4年間でグリーン?ステージのヘッドライナーへとたどり著いた。異例のスピードである。
雖在King Gnu的前身, Srv. Vinci時代, 在LIVE HOUSE演唱時用雙手就數得出來的觀眾數的光景並不難見到。但靠著樂團所有人的才華與才能, 並用井口那高音域歌聲為武器使之成為能樂團的看板, 並以更新日本搖滾流行為目的而持續進化。當注意到的時候, 加上今年FUJI ROCK音樂祭, 自2017年樂團更名King Gnu出演以來, 只花了四年就成為蟬聯“綠舞臺”常客。前所未聞的快速。
井口のユニークなポイントは、學生時代から歌と俳優をパラレルな表現として続けてきたことだろう。レギュラーのラジオ番組出演で確立したユニークなキャラクター性からは脫皮し、オーディエンスを鼓舞するロックスター像へ成長することで唯一無二のポジションを確立したことにも著目すべきだ。
作為井口那獨特的特徵, 應該就是從學生時代及持續將歌唱與演藝並行到現在的表現。不過現在更應該著眼的是, 已將在收音節目的主持時期培養出的那獨特的角色性捨棄與脫皮, 成為了能為觀眾鼓舞身心的搖滾巨星成長並取得了獨一無二的地位這件事。
——なぜ、井口さんは歌と俳優の両面に魅せられたのでしょうか?
------為何, 井口先生會為歌手與演藝兩方面著迷呢?
家庭環境として親が好きなクラシックが家の中で流れていたんです。音楽に觸れるのは自然なことでした。それに映畫をよく観る家だったんです。4人兄弟、6人家族だったんですけど、みんなで食卓を囲みながら近所のレンタルビデオ屋さんで借りてきて。僕以外は、小さな頃から地元の市民劇団に所屬していました。なんとなく、兄弟がお芝居をやっているのを観ていたので自然なことだったんですよ。
因為家庭環境父母親喜歡在家裡播放他們喜歡的古典音樂。與音樂接觸對我來說像呼吸空氣般自然而然的。另外也會時常去看電影的家庭。4人兄弟姐妹, 6人家庭常圍著餐桌, 看著附近錄影帶出租來的影片這樣。另外除了我之外, 小時候都所屬當地的市民戲劇社。耳濡目染之中, 常看著兄弟們演戲的原因很自然的就接觸了。
——井口さんの原點ですね。
------可以說是井口先生的原點呢。
大學に入るまで、僕は役者をやっていませんでした。でも、どこかでやりたいなという気持ちはあって。バンドをやり始めたのも大學2年の時で。その時期に、學校で學んでいたクラシックが自分に向いていないなって考えが浮かんで。周りもうまい奴らが多いし。やっていけないかなと思った矢先、他のことにも手を伸ばしてみようと思った延長線上にお芝居やバンドがあって。20歳ぐらいの時に道に迷っていて、手を出したり足を突っ込んだりしていた同時期でした。バンドなのか俳優なのか、はたまたミュージカルなのか。今後もやっていけたらいいなという選択肢だったんです。
進大學之前, 自己並沒有演戲。不過, 一直有著想在哪裡試試身手的心情。開始樂團是大學2年級的事情。當時想著自己並不適合古典樂。周圍有才能的人太多, 越來越受挫折想換換跑道的時候, 當時觸及的就是演戲與樂團。20幾歲那時非常迷惘, 同時也是自己對各方觸手的時期。樂團還是演員?抑或是歌劇?所有覺得有機會的都有嘗試。
——學生時代、可能性が未知數なままに、自分という人間のあり方を確立するのは難しいと思います。悩んで動けなくなってしまう人も多い中、なぜ井口さんは踏み出せたのでしょうか?
-----學生時代, 深陷所有未知的可能性, 決定自己的存在該走的方向極為困難。因為迷惘而什麼都不行動的大有人在、為何井口先生能踏出那一步呢?
たぶん、諦めたからかな。「じゃあどうする?」という気持ちになって。いい意味で追い込まれてたんですよ。いろいろやらないといけないなって。アイデンティティ探しですよね。自分の強みとは?どうしたらこの道で一流としてやっていけるんだろうって。そんなプレッシャーがなかったら逆に腐っていたかもしれません。
大概, 是因為放棄了吧。萌生「那接下來該怎麼辦?」的想法。以好的方面來說是自己在逼自己。變得忙碌。尋找著自己。自己的強項?要如何才能成為這條路上的佼佼者之類的自問自答。如果沒有這樣的壓力的話自己現在大概就廢到變成陀爛泥也說不定。
——両親の影響は大きかった?
------父母親的影響力很強嗎?
歌が好きな両親なんですよ。この間、やっと馴れ初めを聞いたんですけど。父親と母親はいま70歳と65歳なんですけど、當時フォーク世代でニューミュージックが流行っていて。田舎にもフォーク連合というコミュニティーがあって、その歌の場で出會ったらしいんですよ。音楽が本業ではなかったんですけど、歌が好きなふたりですよね。
他們是一對喜歡音樂的父母。最近才終於問到。父親現年70母親則是65歲、當時當代民謠等新音樂盛行、就算是這樣的鄉下*也有著當代民謠社團、他們就是在那裡相識的樣子。雖然音樂不是他們的本行職業, 但是就是這麼喜歡音樂的兩個人呢。
(*井口長野縣人)
——へえ。そして4人兄弟の末っ子だったと。となると、兄弟からのインプットも受けますよね。
------原來是這樣。那身為四兄弟的末子, 果然還是常常受到其他哥哥姊姊來的影響吧?
そうですね。末っ子だったことは大きいですよね。完全に兄弟の背中を追いかけていたからいまがあると思っているので。一番上が姉ちゃんで、あとは男なんですけど。姉は吹奏楽でトランペット吹いていて。その下は本気で役者目指した時期もありましたし。3番目は聲楽を続けていて。努力している姿を見てきたのは大きかったですね。ああ、こうやって自分も続けていけたらいいなって理想像だったんで。
是這樣沒錯呢。身為老么這事真的影響挺大的。完全就是追著其他兄弟姐妹的背後跑。最大的是姊姊, 接著是哥哥、姊姊在吹奏樂團裡吹著小號, 二哥好像有段時期真心也想往那方面走的樣子。再來第三位一直持續著聲樂。看著他們努力的樣子對我影響真的很大。想著, 如果我也能持續某件事就好了這樣想像著。
——King Gnuでも末っ子感を、井口さんは漂わせていますよね。
------在King Gnu樂團裡也是, 時常散發著”我是最小的“的感覺呢
あはは。生粋の末っ子気質だと思いますね。上に3人もいますから。
啊哈哈。我想大概是因為天生來的氣質吧。畢竟我可是有著三位前輩在。
——常田さんも言っていましたが、井口さんはムードメーカーとして、バンドを回していく上で大事な役回りでもありますよね。
-----常田先生也有說過, 井口先生是製造團隊氣氛的老手、作為樂團圓融氣氛不可缺少的重要角色對吧
めちゃくちゃ人の顔色を伺うタイプに育っちゃったんで。それも別に嫌ではないし、みたいな。
超級霹靂無敵看著他人的眼色長大的。也沒有特別討厭做這類事情, 的感覺吧。
——それでいうとオールナイトニッポンのラジオ番組とか、面白かったんですけど期待に応えすぎてしまったりとか。
-----這麼說的話在ALL NIGHT NIPPON收音節目*之類的, 那些“有趣”都是為了回應期待嗎?
(*2020年3月結束主持, 為期一年)
ちょっとね。ぶっ壊れちゃったんですけどね、気持ちがしんどくなったり。
稍微有呢。雖然有點脫線, 越後面越覺得有壓力。
——歌と俳優って、ある種作品を演じる立場として共通項がありますよね。
------歌手與演員, 在某些領域上應該有共通的項目吧?
そうかもね。
大概是吧*
(*感覺訪問的人很期待會有什麼很厲害的答案, 結果就這樣五個字帶過真是笑死)
——兄弟以外で、影響を受けた方なんていましたか?
-----除了兄弟之外, 請問有受其他人影響嗎?
なんだろうなあ……。ぱっと出てこないけど、あ、クリント?イーストウッドは親兄弟がどっちも好きで。家でよく流れていて。これは前に、雑誌の対談で荒木飛呂彥さんと話したんですけど、立っているだけで様になる人はかっこいいよねって。荒木先生はそれがクリント?イーストウッドだって言っていて。
該怎麼說呢.....。一時之間沒有想法不過, 啊, 克林·伊斯威特我與哥哥們都很喜歡。家裡常常會放他的電影。之前的, 在與荒木飛呂彥先生對談的時候, 光站著就能變成畫的人真的很帥呢這樣, 荒木先生當時只的也是克林·伊斯威。
——ジョジョ立ちならぬ、クリント?イーストウッドだったんだ。
-----JOJO不得不站, 原來是指克林·伊斯威*
あはは。生き方だったり、その人自身からにじみ出てくるものっていいですよね。
啊哈哈。生活方式等, 以及從他人身上散發出的的東西真的都很有趣呢。
——井口さんも、エロスというかにじみ出てくるものがありますよね。
------井口先生也是, 名為色色的東西散發出不少吧?
ありがたいな。1%ぐらいはクリント?イーストウッドに近づけたかな(苦笑)。
對於這方面我挺高興的。應該有1%左右有與克林·伊斯威接近到吧(苦笑)
——そして、今號のテーマが「責任」なんです。政治やオリンピックなど、「責任」について問われること、語られることが多い時代となりました。井口さんが現在立ち向かわれているヴォーカリストと俳優の表現は、「やりきる」という「責任力」がとても大事なクリエイティブだと思います。しかも、井口さんはオーディエンスの注目を一手に集めるフロントマン。多くの人に聲を屆けられる表現者としての「責任」をどのように考えていますか?
-----話說回來, 這是的題目是「責任」。現在的社會對於政治與奧運等關於「責任」方面的事情提倡了不少, 井口先生現在面對的歌手與演員, 「完全」的「責任能力」應該是非常重要的、對於井口先生這樣集目光於一身的前線人員來說, 將更多的聲音提供為所有人的「責任」這樣的您是如何感想的?
責任が自分の外にあるのは怖いですよね。ライブで何かをやりきったりするのは、自分に対して持っている責任というか。これは説明が難しいんですけど……。なんか、自分を裏切ることが嫌なんです。手を抜いていたら自分がつまらない人間になるじゃないですか?そんな意味での責任感というか。誰かに対しての責任ではないんです。自分が面白くいないといけないよなとか。それは自分が飽きちゃうからだし。この仕事をやっていく上で大切なことだと思っているんですよ。自分を楽しませられなかったら終わりだから。たぶん、そうなったら辭めちゃうだろうし。僕は誰かに向けてとか、大衆に向けてとか、外側に向けての責任は持っていなくて。むしろ、バンドメンバーを困らせたらまずいなとは思いますけど。世間的な責任は持ちたくないですよね。
對於自己之外的其他人負責任這件事很恐怖呢。在演唱會什麼的只是在對自己負責而已。 有點難說明..., 總覺得不喜歡背叛自己。如果隨便起來的話自己是不是會變成一個無聊的人這樣?這種意義上的責任這樣。其實並不是特別對誰負責。必須時常提醒自己不得不成為有趣的人什麼的, 只會讓自己對自己感到厭煩而已。對於現在的工作來說是必要的心態我覺得。如果連自己都不能覺得有趣的時候就完了, 真到時候應該就會辭掉現在的工作吧。對於向誰, 向大眾, 向自己以外的人負責之類的、應該反而會對樂團成員帶來麻煩。 我們都不想對誰負責呢
——ほんと嫌な世の中になったなあと思いますよね。
-----變成了令人厭煩的世界呢我覺得
ホントそうっすよね。人を糾弾できるほどの責任を持っているのかって、文句言っている人を見ると思うし。
恩恩說的沒錯。真的有到可以糾纏別人那樣程度的責任嗎?每次看到那些發牢騷的人都這麼想著
——糾弾してもいいのは、本當に関係性ある近しい周りだけだと思います。
------可以糾纏不清的, 只有身邊真的關係親密的人而已我覺得
そうだよね。SNSが普及した世の中になって、変に全部つながっていると誤解してしまっているんでしょうね。自分と世間の境目がなくなっているというか。すごく悪い意味でつながっているんだなって。
說的是呢。在這社交軟體發達的時代, 奇妙的聯繫讓大家誤解了背後的意義。自己與社會的界境消失, 以非常不好的方面來說我們都聯繫在了一起
——そうですよね。ちなみに、井口さんって、日本のポップ?ミュージックではどんな表現者が好きですか?
-----說的是呢, 對了井口先生, 您喜歡什麼樣的日本的流行音樂表現者呢?
僕が洋楽を聴かなかったのは歌詞が好きだからなんでしょうね。歌謡曲を聴いたり、日本語が持つパワーってありますよね。僕は他の言語が分からないのでなんとも言えないですけどね。
我不聽洋樂應該只是因為我喜歡他們的歌詞。聽著歌謠曲, 能感受到日本特有的喧染力。對於其他語言我不是很懂, 所以不好說什麼呢*
(問題與回答都是照翻, 其實自己也看得不是很懂。自己在猜大概是因為井口身為歌手的立場不好意思在公眾場合表態, 所以用這種奇妙聽起來語無倫次的回答呼隆帶過)
——それって、King Gnuが向かってきた方向性と一致しますよね。ちなみに表現者だったら七尾旅人の影響は大きい?
-----這麼說來, King Gnu前進的方向性是一致的, 說起表現者的話受到“七尾旅人”的影響很大嗎?*
(看來編輯原本想從井口在上題聽到“七尾旅人”這個關鍵字, 結果被呼隆帶過, 所以這題直接指名道姓笑)
すごいですよね。初期のアルバムから考えると、歌い方も音楽性も時代性も兼ね備えて変わってきている。そして旅人さんの人間的な繊細さや優しさが音楽にあらわれている。
真的很厲害呢。從初期的專輯來看的話, 不管是歌唱方式與音樂性都與時俱進。然後旅人先生作為人的纖細的溫柔在音樂上表現了出來
(這裡井口還是四兩撥千斤, 稱讚了旅人但並沒有回答問題笑)
——井口さんは自分で歌詞を書いたり曲をつくったり、舞臺の腳本を書いたり、映畫を監督してみたりなんて思いは芽生えたりしましたか?
-----井口先生有過想自己寫歌作曲, 寫舞臺劇腳本, 當電影監督之類的想法萌生嗎?
あああ、クリエイティブ側ね。まだ湧いてこないかな。ちょっと書きたくなっている自分もいるんですけど、もう少し待ってみようかな。
啊啊, 創作者那邊呢。到現在還沒有呢。有過“稍微想試試”的自己出現過, 不過還是在等時機成熟一些吧。
——井口さんにとって、東京藝術大學という學びの場は、今から振り返るとどんな存在でした
か?
------對於井口先生, 名為東京藝術大學這樣的學習環境, 現在回想的話是什麼樣的存在呢?
う?ん、大學の4年間って一番挫折した時期だったんですよ。才能ある奴なんて山ほどいたし。でもやっぱり鏡というか、自分を見れた4年間だったのかな。學生生活がなかったら、何も顧みずというか、「人の振り見て我が振り直せ」というか。俺、一浪してるんですよ。1年浪人するのが嫌でギター買って上京しようかと思った瞬間もあったんです。
恩~大學4年間最挫折的時期呢。被才能出眾的人們包圍著。不過應該說是鏡子吧。正視自己的4年這樣。沒有學生生活的話, 自己將會對於「吾日三醒吾身」這件事一屑不顧。我, 留過級呢。曾對留級生活感到厭煩而想買了吉他上京這樣的想法也有的呢
——その頃から葛藤があったんですね。
-----從那時就在內心掙扎了呢
あったんですよ。でもそれをしないでよかったなって。學校にはライバルと思える存在もいたし。こいつを超えたいなっていう存在がいっぱいいたのはよかった。大學に行ったおかげで、クラシックのアプローチはルーツとして入っているし。いまの自分の身になっているなって思いますね。
那時就有了呢。不過最後還好沒做。學校有著“競爭者”這樣的人在。超越那些存在這樣的很有趣。托大學的福, 了解了古典樂的入口, 以及造就了現在的自己
——King Gnuの個性を司るオリジナリティーとして大きいですよね。
-----作為King Gnu的個性的掌握這件事很有關係呢
(*在樂曲中常放入古典樂元素這種“個性”)
うん、常田(大希)もやっぱりクラシックなんですよ。ミレパ(THE MILLENNIUM PARADE)とか聴いても、「FAMILIA」とかどこかにクラシックの要素が入っていて、進行とかね。
恩, 常田也是古典派的。THE MILLENNIUM PARADE的創作, 「FAMILIA」也是放入了豐富的古典元素等等
——そう言えば、King Gnuの前身バンド、Srv. Vinciへ藝大の學祭で常田さんに誘われた際、どんな印象を持ちましたか?
-----話說回來, King Gnu的前身, Srv. Vinci是在藝大時受常田先生邀約, 當時是抱持著什麼的樣的印象呢?
最初はコーラスでサポート的な位置だったんですよ。ティグラン?ハマシアンというジャズピアニストがいて、アルメニアだったかな。彼のバンドに女性のサポートコーラスがいて、割とそれに近かったかな。
最開始是和聲的位置呢。當時有位名叫季格蘭·哈馬斯揚的鋼琴手, 記得是亞美尼亞吧, 他樂團裡有位女性的和聲, 大概我當時就跟那位女性一樣的位置
——當時から常田さんは、アカデミックな要素がありつつもストリートカルチャーを織り交ぜごった煮感。まさにミクスチャーセンスがありましたもんね。
-----當時的常田, 交織著學術性的要素與街頭風的韻味, 正可以說是大融合也不為過呢
そうですね。もともとあいつ(常田)とは地元も一緒だったし。中學ぐらいで出會いましたけど、どこか特別というか、何かが違うなって思っていました。物の考え方もすごいし。なので、聲をかけてもらえて嬉しかったです。
是的呢。那傢伙跟我同鄉。中學時就認識了, 覺得他很特別, 總覺得跟別人不一樣。對於世奇的看法也是很厲害。當時被他找上真的是很高興呢
——結果的に、振り返ってみるとKing Gnuは井口さんが加入したことでオーバーグラウンドでの成功が加速しました。
-----以結果來說, 從King Gnu的成功來看是因為井口先生的加入所以才會加速成功的吧?
分からないですけどね、あはは。そもそもこんな風に売れるとは思っていなかったんですよ。ベースの新井和輝と板橋の家に住み始めた頃だったかな。「おれら大丈夫かな?」ってあいつに話したことがあって、2DKの真ん中の5畳ぐらいの部屋でこたつに入りながら。たしか、バンド始めて2年ぐらいだったかな。そうしたら「絶対大丈夫だよ!」って。「このバンドはちゃんと売れるよ」って言ってくれた。もちろん「かっこいいことやっているな」って気持ちはあったんですけどね。どこかまだ信じきれなかったからこそ頑張れたと思うし。割と泥臭くというか、宣伝の仕方とってもいろんなことをやってきましたから。「バンドが売れるためには!」って、姿勢として毎日考え抜いてきたことがよかったのでしょうね。
這很難說呢。啊哈哈。是說根本沒想過會這樣出名。與貝斯的新井和輝在板橋*一起住的時候。「我們沒問題吧?」這樣, 在2DK的5個榻榻米大的正中間的暖被爐裡這樣閒聊著的時候也有。當時大概是樂團創立2年左右的時候吧。然後被「一定沒問題的!」「這樂團一定會紅」的這樣被回答著。當然「我們在做著很帥氣的事情吧」這樣的心情也是有的。再沒自信的地方加強自信的這樣想著。還挺俗氣的, 對於宣傳的方式做了很多不起眼的努力呢。對於每天「如何讓樂團發熱」能的課題才是成功的根本吧我想
(*東京都板橋區)
——King Gnuは、現在進行形でありながらも、ある種到達點にたどり著いたと思いますが、役者としての井口さんはどんなことをやっていきたいなどイメージはありますか?
-----King Gnu作為現在進行式, 在某種意義來說已經到達了頂點, 作為演員的井口先生接下來有想著朝什麼樣的目標前進呢?
経験も淺いしあれですけど、お芝居をやっている自分は未熟だなと思っていて。役者を極めたいというより觸れていたい、ずっと側にいたいという思いが強いかな。
自己的經驗還遠遠的不足, 在演戲放面更是如此。比起想追求演員的極致更想要只是演戲, 單純的只是想與演戲共舞而已
——そしてKing Gnu、ひさびさの新曲「BOY」がリリースされるそうですね。
-----是說, King Gnu的新曲子發表了呢
テレビアニメ『王様ランキング』のオープニングテーマですね。元気系なナンバーです。アルバム『CEREMONY』のレコーディングはとにかく時間が足らなかったので、その時と比べると心機一転というか遊び心を入れられる余裕が生まれていますね。従來のKing Gnuらしさから少しはみ出た要素があるかな。
電視動畫「國王排名」的片頭曲呢。精神抖擻的音樂呢。比起錄製「CEREMONY」忙碌沒什麼時間的時期, 這裡怎麼說呢, 轉歡心境?總之多了能童心的情感放入的游刃。比起以往的King Gnu有著稍微不一樣的風格呢
——よりクリエイティブな工程を楽しめるようになったと。
-----比起製作工程更喜歡沈浸其中的意思對吧
すごく良いサイクルかな。と言いつつも、以前のように常田が忙しくなってきているので心配はしていますが。まあ進んだり休んだりをこれから先繰り返していくんだろうなって思っています。
非常好的循環呢。雖是這麼說, 比起以前, 對於現在過於忙碌常田有點擔心呢。不過還是維持一貫努力一下休息一下的風格應該是沒關係吧我想
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