日本人の自己紹介用例 女性編1
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FILE002 女性 26歳
父親の転勤で、九州から東京へ引っ越してきたんだ。「東京」って言っても、「ディズニーランドとたくさんのビル」くらいしか知らなかったよ。家族もそう。だから、空港に著いて、長い間電車に乗ってる時は、ビルがたくさん見えたから、「やっぱり、すごいね。これからこんな所に住むんだね」って言ってたんだよ。でも、最寄りの駅から家までのタクシーの中から見えた景色を見て「何か違う」って思ったの。「ここ、本當に東京なの?なんだ東京って言ってもおんなじだねぇ」って。ビルじゃなくて木しかないんだもん。安心したっていうのもあったケド。だって、ビビッてたもん。やっぱり。
それからすぐに、みんなでディズニ-ランド行った。春休みだったから、すごく混んでたけど、並ぶのさえもモノめずらしくて……。待ってる間も流れてくる音楽を聞いて、ウキウキしてた。今は「うえぇ」だけどね。そう、ゴーカートにも乗った。お父さんと。そしたら雨が降ってきて……。でもハシャイでた。暖かい日だったし、服もすぐに乾いた。何より、楽しいのがいちばんだったから。いまお父さんと一緒にあんなにハシャぐことなんてないよ。「お父さん、また焼酎飲んじょっとけ?」って怒ることは多いけどね。そうなの。家では、方言で話してる。両親とも、方言が抜けなかったから、自然と「外では東京弁、家では方言」。周りの人は不思議みたい。長く住んでるのにいまだに方言で話してるのが。學生の時は、何か、恥ずかしくて、外から家に電話する時、すごく小さい聲で話してた。最近は、気にせず、話してるけど。逆にいまは、ほかの人がは話せない言葉を話せてうれしいっていう気持ちのほうが強いのかも。よくわかんないけど……。
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FILE003 女性 30歳
こんにちは。元気ですか?
屋形船って、乗ったことがありますか? 私は一度だけあります。去年の夏、友人が屋形船で結婚パーティーを開いたのです。ゆらゆら揺られながら天ぷらを食べるのはしんどかったけれど、みんなが同じ方向に傾くのが面白くて、ずいぶんはしゃいでいたような気がします。
なぜ、屋形船の話をするのか?
実はここから、川に浮かぶ屋形船が見えるからです。私は今、會社の席に座って電話を待ちながら、あなたに手紙を書いています。電話を待ちながら。そう、それが私の仕事です。私はある電話の取り次ぎ會社で働いています。花の注文を電話で受けて、それを全國各地の花屋さんからデリバリーするというシステムです。毎日毎日、驚くほどたくさんの人がだれかに花を贈っています。ありがとう、おめでとう、ごめんなさい、好きです。そこに込められるメッセージはさまざまなのですが。「どのようなお花にしますか」と聞くと、大抵は「まかせるよ」と言います。たまに「君ならどんな花が欲しいの」と聞かれることがあるのですが、そういう時は必ず「ピンクのバラ」だと言います。いつでも數(shù)多く出荷しているし、何より無難だからです。つまらないでしょう? 本當は、カラーという花が好きなのだけれど。
今朝いちばんに「ピンクのバラ」を注文してきた人が、あなたでした。「お花にメッセージをお入れしますか」と聞くと、あなたは「もう會えない」と言いました。もちろん私はあなたに會ったことなどないのに、なぜだか取り返しのつかない気分になって、こうして手紙を書いています。私のことを知ってほしい。なぜそんなことを考えたのでしょうか。考えてみれば、ずいぶん迷惑な話ですね。知らない人間から、突然こんな手紙が來るなんて。きっとあなたはこの手紙を途中で破り捨てていることでしょう。そもそもあなたにとって、私がだれかなんて関係がないのだから。
それでは。あなたがだれかにお花を贈る時が來るまで。
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FILE006 女性 40歳
當ホームページを訪れてくださって、ありがとうございます。作者は荻島あまねと申します。といっても、実はこれはペンネームです。「荻島」は母方の姓、「あまね」は上の息子の名前から1字を借りました。生業(yè)は本や雑誌の校正(「赤ペン1本で」というあれです)なので、ペンネームが必要なことなどほとんどありません(校正者の名前が入った本、見たことありますか?)。ただ、仕事とプライベートにきっちり境界線を引くために、この名前を使っています。家で仕事をしているだけに、せめて名前くらいは使い分けないと、24時間、仕事の顔になってしまいそうですから。
人からは「今、はやりのSOHOね」と言われるのですが、実態(tài)は悲慘なものです。2人の保育園児がいる我が家では、常におもちゃとクレヨンとお菓子が散亂し、加えて私の書類と辭書と本とが山積みになり……。「オフィス」とは言いがたい狀態(tài)の中で、仕事と育児と家事に格闘する毎日です。時には仕事を全部斷って思いっきり子どもと遊びたいと思うこともありますが、子育てだけに専念していると、どうしても社會との繋がりが薄れてしまうという焦りを感じるのです。
皆さんは、仕事と家庭をどうやって両立しているのでしょうか。子育てで悩むことはありませんか。夫や両親の協(xié)力はちゃんと得られていますか。「私も悩んでいる」というあなたも、「お前の考えは甘い!」とおっしゃりたいあなたも、どうぞ掲示板に參加してください。皆さんと建設的な意見交換をしたいと思います。
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FILE007 女性 30歳
かつて私はアフリカに住んでいた。どこまでも青く乾いた空。その空に浮かぶ真っ白な羊雲(yún)。赤道直下の陽射しを受けて煌く異形の植物。朱く燃え上がる灼熱の大地。黒曜石のように輝く人々の肌。その原色の彩りの中で、自分の色を強烈に主張できた若い私……。
日本に戻ってからの數(shù)年、アフリカの思い出は私の青春とともに、灰色の空にくすんでいく気がしていた。そんな時、友人が翻訳書を出版した。タイトルは『アフリカに夢見て』。私のアフリカへの渇きを満たしてくれる作品だった。
アフリカにはこんな諺がある。「一度アフリカの水を飲んだ者は、再びこの地に帰る」。そう、私の心からアフリカ色は決して消えない。心の中から湧き上がるこの色で、モノトーンの生活を少しずつ染め上げていこう。もう一度、あの大地に戻れる日まで、「アフリカに夢見て」……。
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FILE008 女性 35歳
【営業(yè)用自己紹介】
翻訳書(英→日)の翻訳チェック 校正いたします。
「納期厳守」、「緻密で丁寧」がモットーです。各社から継続して仕事がいただけるのは、このモットーの賜物と自負しております。當初はノンフィクション(育児 スポーツ関連など)、小説(戀愛物 青春物)を中心に仕事をしてきましたが、昨年は料理および美術関連のビジュアル本にも挑戦しました。今後も新しい分野を開拓していきたいと思いますので、どうぞご相談ください。
職歴:校正7年、翻訳チェック3年
資格:國連英語検定A級、校正技能検定4級
昨年の主な実績:『許す勇気、生きる力』『すべてのものは あるべきところに』
(以上、青山出版社)、『ジェントルマン』『コンランでレストラン』(以上、インデックスコレクション)、『フレンチ・キュリナリア』『アール・ヌーヴォー』(以上、デザイン・エクスチェンジ)
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FILE009 女性 22歳
タイトル:初めてのレッスン
先生、はじめまして。よろしくお願いします。この教室に入ったきっかけですか。ずっと前に店內(nèi)の貼り紙を見てたんですけど、決心したのは最近です。年末の會社の忘年會の余興で、サックスを演奏していた人がいたんです。聴いているうちにまたやりたくなっちゃって……。
あ、そうなんです。中學校の時はブラスバンド部でアルトサックスをやっていたので、未経験ではありません。學校だったからでしょうか、當時演奏していた曲は行進曲ばかり。部活の先生の言うことを、本當は聞かなくちゃいけないんですけど、反発ばかりしていましたね。時間中もおしゃべりしていたようなもので、先生が職員會議から音楽室に帰ってきたのがわかると、「ちゃんと練習してました」って顔で楽器を持ってました。そんな"都合のいい"生徒でした。
さほど真面目じゃなかったのも、しょうがないからブラスバンド部に入ったんだ、って気持ちがどこかにあったんだと思います。小學校の時にバスケットをやっていたので、中學校でも続けようと思っていたんです。でも、なかったんですよバスケ部が。高校では念願のバスケ部があったので、サックスはそれ以來演奏しませんでした。一つだけ心に引っかかっていることがあるんです。中學校、高校とブラスバンド部でサックスを擔當していた友達に「なんで続けなかったの? 上手だなあって思ってたのに」と言われたこと。この教室に來た本當の理由は、その言葉が引っかかっていたからなのかもしれません。
これからは、ポップスに挑戦しようと思っています。姉が大のチェッカーズファンだったんです。妹って、「お姉ちゃん」のまねをしたがりますよね。私も同じで、小さい頃から彼らの音楽を聴いていたんです。中學校に入ったばかりの時に「チェッカーズみたいになれるよ」なんて言葉につられて、ブラスバンド部に入部しちゃったんですよね。まずは「目指せ、藤井尚之!」です。
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轡田隆史の文章道場
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FILE002 女性 26歳
父親の転勤で、九州から東京へ引っ越してきたんだ。「東京」って言っても、「ディズニーランドとたくさんのビル」くらいしか知らなかったよ。家族もそう。だから、空港に著いて、長い間電車に乗ってる時は、ビルがたくさん見えたから、「やっぱり、すごいね。これからこんな所に住むんだね」って言ってたんだよ。でも、最寄りの駅から家までのタクシーの中から見えた景色を見て「何か違う」って思ったの。「ここ、本當に東京なの?なんだ東京って言ってもおんなじだねぇ」って。ビルじゃなくて木しかないんだもん。安心したっていうのもあったケド。だって、ビビッてたもん。やっぱり。
それからすぐに、みんなでディズニ-ランド行った。春休みだったから、すごく混んでたけど、並ぶのさえもモノめずらしくて……。待ってる間も流れてくる音楽を聞いて、ウキウキしてた。今は「うえぇ」だけどね。そう、ゴーカートにも乗った。お父さんと。そしたら雨が降ってきて……。でもハシャイでた。暖かい日だったし、服もすぐに乾いた。何より、楽しいのがいちばんだったから。いまお父さんと一緒にあんなにハシャぐことなんてないよ。「お父さん、また焼酎飲んじょっとけ?」って怒ることは多いけどね。そうなの。家では、方言で話してる。両親とも、方言が抜けなかったから、自然と「外では東京弁、家では方言」。周りの人は不思議みたい。長く住んでるのにいまだに方言で話してるのが。學生の時は、何か、恥ずかしくて、外から家に電話する時、すごく小さい聲で話してた。最近は、気にせず、話してるけど。逆にいまは、ほかの人がは話せない言葉を話せてうれしいっていう気持ちのほうが強いのかも。よくわかんないけど……。
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FILE003 女性 30歳
こんにちは。元気ですか?
屋形船って、乗ったことがありますか? 私は一度だけあります。去年の夏、友人が屋形船で結婚パーティーを開いたのです。ゆらゆら揺られながら天ぷらを食べるのはしんどかったけれど、みんなが同じ方向に傾くのが面白くて、ずいぶんはしゃいでいたような気がします。
なぜ、屋形船の話をするのか?
実はここから、川に浮かぶ屋形船が見えるからです。私は今、會社の席に座って電話を待ちながら、あなたに手紙を書いています。電話を待ちながら。そう、それが私の仕事です。私はある電話の取り次ぎ會社で働いています。花の注文を電話で受けて、それを全國各地の花屋さんからデリバリーするというシステムです。毎日毎日、驚くほどたくさんの人がだれかに花を贈っています。ありがとう、おめでとう、ごめんなさい、好きです。そこに込められるメッセージはさまざまなのですが。「どのようなお花にしますか」と聞くと、大抵は「まかせるよ」と言います。たまに「君ならどんな花が欲しいの」と聞かれることがあるのですが、そういう時は必ず「ピンクのバラ」だと言います。いつでも數(shù)多く出荷しているし、何より無難だからです。つまらないでしょう? 本當は、カラーという花が好きなのだけれど。
今朝いちばんに「ピンクのバラ」を注文してきた人が、あなたでした。「お花にメッセージをお入れしますか」と聞くと、あなたは「もう會えない」と言いました。もちろん私はあなたに會ったことなどないのに、なぜだか取り返しのつかない気分になって、こうして手紙を書いています。私のことを知ってほしい。なぜそんなことを考えたのでしょうか。考えてみれば、ずいぶん迷惑な話ですね。知らない人間から、突然こんな手紙が來るなんて。きっとあなたはこの手紙を途中で破り捨てていることでしょう。そもそもあなたにとって、私がだれかなんて関係がないのだから。
それでは。あなたがだれかにお花を贈る時が來るまで。
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FILE006 女性 40歳
當ホームページを訪れてくださって、ありがとうございます。作者は荻島あまねと申します。といっても、実はこれはペンネームです。「荻島」は母方の姓、「あまね」は上の息子の名前から1字を借りました。生業(yè)は本や雑誌の校正(「赤ペン1本で」というあれです)なので、ペンネームが必要なことなどほとんどありません(校正者の名前が入った本、見たことありますか?)。ただ、仕事とプライベートにきっちり境界線を引くために、この名前を使っています。家で仕事をしているだけに、せめて名前くらいは使い分けないと、24時間、仕事の顔になってしまいそうですから。
人からは「今、はやりのSOHOね」と言われるのですが、実態(tài)は悲慘なものです。2人の保育園児がいる我が家では、常におもちゃとクレヨンとお菓子が散亂し、加えて私の書類と辭書と本とが山積みになり……。「オフィス」とは言いがたい狀態(tài)の中で、仕事と育児と家事に格闘する毎日です。時には仕事を全部斷って思いっきり子どもと遊びたいと思うこともありますが、子育てだけに専念していると、どうしても社會との繋がりが薄れてしまうという焦りを感じるのです。
皆さんは、仕事と家庭をどうやって両立しているのでしょうか。子育てで悩むことはありませんか。夫や両親の協(xié)力はちゃんと得られていますか。「私も悩んでいる」というあなたも、「お前の考えは甘い!」とおっしゃりたいあなたも、どうぞ掲示板に參加してください。皆さんと建設的な意見交換をしたいと思います。
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FILE007 女性 30歳
かつて私はアフリカに住んでいた。どこまでも青く乾いた空。その空に浮かぶ真っ白な羊雲(yún)。赤道直下の陽射しを受けて煌く異形の植物。朱く燃え上がる灼熱の大地。黒曜石のように輝く人々の肌。その原色の彩りの中で、自分の色を強烈に主張できた若い私……。
日本に戻ってからの數(shù)年、アフリカの思い出は私の青春とともに、灰色の空にくすんでいく気がしていた。そんな時、友人が翻訳書を出版した。タイトルは『アフリカに夢見て』。私のアフリカへの渇きを満たしてくれる作品だった。
アフリカにはこんな諺がある。「一度アフリカの水を飲んだ者は、再びこの地に帰る」。そう、私の心からアフリカ色は決して消えない。心の中から湧き上がるこの色で、モノトーンの生活を少しずつ染め上げていこう。もう一度、あの大地に戻れる日まで、「アフリカに夢見て」……。
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FILE008 女性 35歳
【営業(yè)用自己紹介】
翻訳書(英→日)の翻訳チェック 校正いたします。
「納期厳守」、「緻密で丁寧」がモットーです。各社から継続して仕事がいただけるのは、このモットーの賜物と自負しております。當初はノンフィクション(育児 スポーツ関連など)、小説(戀愛物 青春物)を中心に仕事をしてきましたが、昨年は料理および美術関連のビジュアル本にも挑戦しました。今後も新しい分野を開拓していきたいと思いますので、どうぞご相談ください。
職歴:校正7年、翻訳チェック3年
資格:國連英語検定A級、校正技能検定4級
昨年の主な実績:『許す勇気、生きる力』『すべてのものは あるべきところに』
(以上、青山出版社)、『ジェントルマン』『コンランでレストラン』(以上、インデックスコレクション)、『フレンチ・キュリナリア』『アール・ヌーヴォー』(以上、デザイン・エクスチェンジ)
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FILE009 女性 22歳
タイトル:初めてのレッスン
先生、はじめまして。よろしくお願いします。この教室に入ったきっかけですか。ずっと前に店內(nèi)の貼り紙を見てたんですけど、決心したのは最近です。年末の會社の忘年會の余興で、サックスを演奏していた人がいたんです。聴いているうちにまたやりたくなっちゃって……。
あ、そうなんです。中學校の時はブラスバンド部でアルトサックスをやっていたので、未経験ではありません。學校だったからでしょうか、當時演奏していた曲は行進曲ばかり。部活の先生の言うことを、本當は聞かなくちゃいけないんですけど、反発ばかりしていましたね。時間中もおしゃべりしていたようなもので、先生が職員會議から音楽室に帰ってきたのがわかると、「ちゃんと練習してました」って顔で楽器を持ってました。そんな"都合のいい"生徒でした。
さほど真面目じゃなかったのも、しょうがないからブラスバンド部に入ったんだ、って気持ちがどこかにあったんだと思います。小學校の時にバスケットをやっていたので、中學校でも続けようと思っていたんです。でも、なかったんですよバスケ部が。高校では念願のバスケ部があったので、サックスはそれ以來演奏しませんでした。一つだけ心に引っかかっていることがあるんです。中學校、高校とブラスバンド部でサックスを擔當していた友達に「なんで続けなかったの? 上手だなあって思ってたのに」と言われたこと。この教室に來た本當の理由は、その言葉が引っかかっていたからなのかもしれません。
これからは、ポップスに挑戦しようと思っています。姉が大のチェッカーズファンだったんです。妹って、「お姉ちゃん」のまねをしたがりますよね。私も同じで、小さい頃から彼らの音楽を聴いていたんです。中學校に入ったばかりの時に「チェッカーズみたいになれるよ」なんて言葉につられて、ブラスバンド部に入部しちゃったんですよね。まずは「目指せ、藤井尚之!」です。
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轡田隆史の文章道場