日本人の自己紹介用例 男性編
FILE001 男性 28歳
初めまして。坂本竜馬と申します。うそです。「りょうま」ではなく、本當は「りょうすけ」という名前です。
私がアパレルの営業マンだったころ、上司と一緒に得意先を回るたびに「弊社の坂本竜馬です」と紹介されました。つまらないおやじギャグだなあと思っていたのですが、不思議なことにどの得意先でも一度で名前を覚えてもらえるのです。細かいことですが、これも営業テクニックのひとつなのでしょう。
自己紹介は自分を売る最初のチャンスです。しかし、短い時間にあれこれとアピールすることは難しいのではないでしょうか。私は「一目惚れ」してもらえるような自己紹介テクニックを持ち合わせていませんので、せめて「坂本」という名前だけでも覚えていただければ幸いです。
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FILE004 男性 26歳
私は伏見鉄兵といいます。戀人になってくれる素敵な女性を大募集しています!今26歳で現在はゲームソフトの制作會社で働いていて、今年で5年目になります。大學時代は理系の學部で、研究室で寢泊りをするような日々で、ほとんど遊びらしい遊びをした記憶がありません。それで社會人になったら、と思っていたら制作部門なので夜は遅いし、土日もあまり関係ないので女性と知り合う機會がありません。
性格は溫厚で、のんびりしています。スポーツはあまり得意ではないのですが、Jリーグなどはよく観に行きます。趣味は映畫や音楽などありきたりですが、最近凝っているのは寫真です。寫真といってもデジカメを使ったもので、時間がある時にぶらぶらと街を歩きながら、ちょっと面白い看板とか風景、動物などいろいろ撮って、家のパソコンでちょっとしたアルバムを作ってます。
休日がなかなか合わないかも知れませんが、楽しくお付き合いができればと思っています。吉祥寺に住んでいるので、美味しいラーメン屋巡りなんかしたいです!
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FILE005 男性 28歳
小學校2年生の時、授業が始まる前に、教室にあるすべてのチョークをボキボキと短く折っておいた
自分としてはささやかなイタズラだと思ってやったことが結構な大事になり
「だれがやったか正直に言ってくれるまで今日はみんな帰れませんからね!」
なんてことになったことがある
黙っていればわからないだろうと思いながらも
黙っているとどんどん息苦しくなっていって
教室中に立ちこめている
(一體だれがこんなことをしたんだろう)
(私たちが帰れないのはだれのせいなんだろう)
怒気と好奇心を含んだ重い沈黙が両肩にのしかかり
いつもは優しい先生の怒った顔に追いつめられ
押しつぶされそうになったその瞬間
「あのね、もう怒らないから正直に言って」
今までと全くトーンの違う先生の聲と優しい笑顔に驚き、思わず
「本當に?」
と言ってしまった
そんなエピソードを周りのだれに話しても
「お前、昔っからそんなヤツだったのね」
と言われるような男です。
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FILE 015 男性 61歳
田舎歩きが趣味です。特に田んぼや畑のあぜ道を歩くのが好きです。
私は奈良の田舎で育ちました。少年の頃、朝、雨戸を繰ると遠くに法隆寺の甍が霞み、その前方を関西線の蒸気機関車が煙りを吐きながら通って行く。大和盆地にアパートや団地はもちろんのこと、目立った工場などすらほとんど見當たらなかった時代です。今では寫真集でしか見ることができなくなってしまった風景の中に溶け込むようにして育ちました。田舎を歩いているといちばん心が安らぐのもきっとそのせいでしょう。
今は、田んぼや畑のそばを歩いていても、農作業や畑仕事をしている人に出會うことはまれです。農業の機械化によって昔のように終日土にまみれることが必要なくなったのかもしれません。あるいは、「三ちゃん農業」によって、田んぼや畑に出る人が減ったからかもしれません。田舎道を歩いている時は気分爽快だからでしょうか、いつも何か歌を口ずさんでいます。人気がないのでつい大きな聲になりがちですが、気が付くとたいてい演歌、それも股旅物になっていることが多く、「合羽からげて三度笠~」の世界に浸っている自分に微苦笑を覚えることもたびたびです。
たいてい最寄りの駅から田園地帯まで歩きますが、時間のない時は気に入った風景の近くまでタクシーに乗ります。たまにはこんなこともあります。「運転手さん、田んぼが見える所まで行ってくれませんか」「ん、オレはそういう客ってあまり好きじゃないんだな」「……」「都會人の田舎好きってやつだろ」。むっとしながらも、冒頭に書いたようなことを説明すると、「わかった、わかった、オレの家の周りなんか田んぼばかりだからずうっと案內してやるよ」。
レンゲやタンポポが咲く季節になってきました。またぞろ田舎歩きの蟲が騒ぎます。
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FILE016 男性 60歳
故郷は遠くにありて想うもの、と言われますが、私が生まれた臺灣は、ジェット機時代でも遠いことには変わりなく、思い立ったからといって即赴くことはできません。それに文字どおり外國ですから、心理的にも隔たりを感じることは事実です。戦前に舊植民地で生まれ育った人たちが共通に持っている、なにかもどかしい複雑な思いです。今の時代の帰國子女たちもそれに似たような思いをすることがあるのでしょうか。
私は小學校の頃、授業中の教室の窓からよく南の空を眺めていました。あの青い空の下にある國へ行きたいなあと。幼い時ですからストレートに臺灣の地に直結することはなかったのでしょうが、やはり南國の生まれ故郷が少年の意識にくっきりと影を投下していたのでしょう。
成人してから臺灣へは何度も足を運びました。個人的な旅行もあるし、ビジネスでの出張の場合もあります。臺灣の人たちは日本語ができる人が多いせいもありますが、やはり自分の出生地ということで、これまでに訪れた數多くの外國のどこの國にも増して臺灣人には親近感を抱いています。でも、よほど親しくならない限り、私は現地の人たちに自分が臺灣生まれだということは話しません。正直に告げることを妨げるのはやはり、日本が植民地支配をしたことへの負い目であることは間違いありません。正直に言えばせっかく育ちかけている友情関係が壊れるのではないか……。
私は今、いろいろな外國とかかわりのある仕事に就いています。教室から眺めていた南の空が大きく広がりました。人はどこで生まれ育ったかがその後に長い尾を引くものだな、と今更ながら思うことがあります。
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FILE017 男性 35歳
地味で目立たない、と周囲からはよく言われます。確かにそうだと思います。自分で言うのも何ですが、不器用で口ベタです。
飲み會の幹事はあまりしませんが、3次會まで必ず付き合います。それなのに、翌日、「あれ? 昨日の飲み會にいたっけ?」などとよく言われます。友人たちとドライブに行くときは運転手を買って出、草野球チーム「松ノ木バスターズ」では不動の8番ライト、カラオケスナックでは「時代遅れの男」を歌います。
職業は雑誌の編集者です。同業者はおわかりでしょうが、ストレスが職業病のような仕事です。締切を守ってくれない執筆者に電話をして逆ギレされたとき、乾坤一擲の企畫書が社長のツルの一聲でボツになったとき、雑誌に掲載したお店の電話番號が間違っていて、その間違えた先がシャレにならないところだったとき、私は會社のビルの屋上に上がり、遠くの富士山を眺めます。ここが私の第一の城です。
家では、テレビのチャンネル権を5歳の娘に握られているので、プロ野球の結果が気になっても、「ポケモンアンコール」や「未來探偵コナン」を家族で見ます。お陰でポケモンのキャラクターには、娘の同級生と対等に話ができるほど詳しくなりました。家が狹いのに、家族3人に飼い貓3匹、それとは別に居候貓が2匹もいるので、晝寢をする場所もありません。いちばん落ち著く場所は、大工さんが間取りを間違えて作った異様に広いトイレです。ここが私の第二の城です。
二つの城を持つ、自稱、平成の山內一豊(これは、妻の自慢をしているわけではなく、妻より目立たないという意味です)とは私のことです。どうぞよろしくお願いいたします。
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轡田隆史の文章道場
FILE001 男性 28歳
初めまして。坂本竜馬と申します。うそです。「りょうま」ではなく、本當は「りょうすけ」という名前です。
私がアパレルの営業マンだったころ、上司と一緒に得意先を回るたびに「弊社の坂本竜馬です」と紹介されました。つまらないおやじギャグだなあと思っていたのですが、不思議なことにどの得意先でも一度で名前を覚えてもらえるのです。細かいことですが、これも営業テクニックのひとつなのでしょう。
自己紹介は自分を売る最初のチャンスです。しかし、短い時間にあれこれとアピールすることは難しいのではないでしょうか。私は「一目惚れ」してもらえるような自己紹介テクニックを持ち合わせていませんので、せめて「坂本」という名前だけでも覚えていただければ幸いです。
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FILE004 男性 26歳
私は伏見鉄兵といいます。戀人になってくれる素敵な女性を大募集しています!今26歳で現在はゲームソフトの制作會社で働いていて、今年で5年目になります。大學時代は理系の學部で、研究室で寢泊りをするような日々で、ほとんど遊びらしい遊びをした記憶がありません。それで社會人になったら、と思っていたら制作部門なので夜は遅いし、土日もあまり関係ないので女性と知り合う機會がありません。
性格は溫厚で、のんびりしています。スポーツはあまり得意ではないのですが、Jリーグなどはよく観に行きます。趣味は映畫や音楽などありきたりですが、最近凝っているのは寫真です。寫真といってもデジカメを使ったもので、時間がある時にぶらぶらと街を歩きながら、ちょっと面白い看板とか風景、動物などいろいろ撮って、家のパソコンでちょっとしたアルバムを作ってます。
休日がなかなか合わないかも知れませんが、楽しくお付き合いができればと思っています。吉祥寺に住んでいるので、美味しいラーメン屋巡りなんかしたいです!
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FILE005 男性 28歳
小學校2年生の時、授業が始まる前に、教室にあるすべてのチョークをボキボキと短く折っておいた
自分としてはささやかなイタズラだと思ってやったことが結構な大事になり
「だれがやったか正直に言ってくれるまで今日はみんな帰れませんからね!」
なんてことになったことがある
黙っていればわからないだろうと思いながらも
黙っているとどんどん息苦しくなっていって
教室中に立ちこめている
(一體だれがこんなことをしたんだろう)
(私たちが帰れないのはだれのせいなんだろう)
怒気と好奇心を含んだ重い沈黙が両肩にのしかかり
いつもは優しい先生の怒った顔に追いつめられ
押しつぶされそうになったその瞬間
「あのね、もう怒らないから正直に言って」
今までと全くトーンの違う先生の聲と優しい笑顔に驚き、思わず
「本當に?」
と言ってしまった
そんなエピソードを周りのだれに話しても
「お前、昔っからそんなヤツだったのね」
と言われるような男です。
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FILE 015 男性 61歳
田舎歩きが趣味です。特に田んぼや畑のあぜ道を歩くのが好きです。
私は奈良の田舎で育ちました。少年の頃、朝、雨戸を繰ると遠くに法隆寺の甍が霞み、その前方を関西線の蒸気機関車が煙りを吐きながら通って行く。大和盆地にアパートや団地はもちろんのこと、目立った工場などすらほとんど見當たらなかった時代です。今では寫真集でしか見ることができなくなってしまった風景の中に溶け込むようにして育ちました。田舎を歩いているといちばん心が安らぐのもきっとそのせいでしょう。
今は、田んぼや畑のそばを歩いていても、農作業や畑仕事をしている人に出會うことはまれです。農業の機械化によって昔のように終日土にまみれることが必要なくなったのかもしれません。あるいは、「三ちゃん農業」によって、田んぼや畑に出る人が減ったからかもしれません。田舎道を歩いている時は気分爽快だからでしょうか、いつも何か歌を口ずさんでいます。人気がないのでつい大きな聲になりがちですが、気が付くとたいてい演歌、それも股旅物になっていることが多く、「合羽からげて三度笠~」の世界に浸っている自分に微苦笑を覚えることもたびたびです。
たいてい最寄りの駅から田園地帯まで歩きますが、時間のない時は気に入った風景の近くまでタクシーに乗ります。たまにはこんなこともあります。「運転手さん、田んぼが見える所まで行ってくれませんか」「ん、オレはそういう客ってあまり好きじゃないんだな」「……」「都會人の田舎好きってやつだろ」。むっとしながらも、冒頭に書いたようなことを説明すると、「わかった、わかった、オレの家の周りなんか田んぼばかりだからずうっと案內してやるよ」。
レンゲやタンポポが咲く季節になってきました。またぞろ田舎歩きの蟲が騒ぎます。
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FILE016 男性 60歳
故郷は遠くにありて想うもの、と言われますが、私が生まれた臺灣は、ジェット機時代でも遠いことには変わりなく、思い立ったからといって即赴くことはできません。それに文字どおり外國ですから、心理的にも隔たりを感じることは事実です。戦前に舊植民地で生まれ育った人たちが共通に持っている、なにかもどかしい複雑な思いです。今の時代の帰國子女たちもそれに似たような思いをすることがあるのでしょうか。
私は小學校の頃、授業中の教室の窓からよく南の空を眺めていました。あの青い空の下にある國へ行きたいなあと。幼い時ですからストレートに臺灣の地に直結することはなかったのでしょうが、やはり南國の生まれ故郷が少年の意識にくっきりと影を投下していたのでしょう。
成人してから臺灣へは何度も足を運びました。個人的な旅行もあるし、ビジネスでの出張の場合もあります。臺灣の人たちは日本語ができる人が多いせいもありますが、やはり自分の出生地ということで、これまでに訪れた數多くの外國のどこの國にも増して臺灣人には親近感を抱いています。でも、よほど親しくならない限り、私は現地の人たちに自分が臺灣生まれだということは話しません。正直に告げることを妨げるのはやはり、日本が植民地支配をしたことへの負い目であることは間違いありません。正直に言えばせっかく育ちかけている友情関係が壊れるのではないか……。
私は今、いろいろな外國とかかわりのある仕事に就いています。教室から眺めていた南の空が大きく広がりました。人はどこで生まれ育ったかがその後に長い尾を引くものだな、と今更ながら思うことがあります。
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FILE017 男性 35歳
地味で目立たない、と周囲からはよく言われます。確かにそうだと思います。自分で言うのも何ですが、不器用で口ベタです。
飲み會の幹事はあまりしませんが、3次會まで必ず付き合います。それなのに、翌日、「あれ? 昨日の飲み會にいたっけ?」などとよく言われます。友人たちとドライブに行くときは運転手を買って出、草野球チーム「松ノ木バスターズ」では不動の8番ライト、カラオケスナックでは「時代遅れの男」を歌います。
職業は雑誌の編集者です。同業者はおわかりでしょうが、ストレスが職業病のような仕事です。締切を守ってくれない執筆者に電話をして逆ギレされたとき、乾坤一擲の企畫書が社長のツルの一聲でボツになったとき、雑誌に掲載したお店の電話番號が間違っていて、その間違えた先がシャレにならないところだったとき、私は會社のビルの屋上に上がり、遠くの富士山を眺めます。ここが私の第一の城です。
家では、テレビのチャンネル権を5歳の娘に握られているので、プロ野球の結果が気になっても、「ポケモンアンコール」や「未來探偵コナン」を家族で見ます。お陰でポケモンのキャラクターには、娘の同級生と対等に話ができるほど詳しくなりました。家が狹いのに、家族3人に飼い貓3匹、それとは別に居候貓が2匹もいるので、晝寢をする場所もありません。いちばん落ち著く場所は、大工さんが間取りを間違えて作った異様に広いトイレです。ここが私の第二の城です。
二つの城を持つ、自稱、平成の山內一豊(これは、妻の自慢をしているわけではなく、妻より目立たないという意味です)とは私のことです。どうぞよろしくお願いいたします。
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轡田隆史の文章道場