歌詞:
初めから僕ら 出會うと決まってたならば どうだろうな
そしたらこんな日がくることも 同じように決まっていたのかな
若說打從一開始 我們就注定會相遇的話 怎麼樣呢
是否也就代表 這樣的日子終將到來呢
ずっと 葉わない思いばかりを募らせていては
互いに傷つけ合って 責め立て合った
そしたらこんな日がくることも 同じように決まっていたのかな
若說打從一開始 我們就注定會相遇的話 怎麼樣呢
是否也就代表 這樣的日子終將到來呢
ずっと 葉わない思いばかりを募らせていては
互いに傷つけ合って 責め立て合った
不停 任無能實現的想法堆積
全因我們總互相傷害 互相責怪
全因我們總互相傷害 互相責怪
ただ想ってただなんて 言い訳もできずに
去り行く裾さえ摑めないでいた
只能藏在心裡暗想 找不到藉口塘塞
連眼前離去的衣擺也沒能抓緊
連眼前離去的衣擺也沒能抓緊
弱かった僕だ
多麼軟弱的我啊
今日がどんな日でも 何をしていようとも
僕はあなたを探してしまうだろう
伝えたい思いが募っていくまま
一つも減らない僕を
無論今日是何日 無論想做些什麼
我仍會忍不住到處去找你吧
想傳達的思緒 只能任其堆積
對一個也沒能消去的我
笑い飛ばしてほしいんだ
好希望能一笑置之啊
味気ない風景だ あなたがいないのならどんな場所だろうと
出會う前に戻っただけなのに どうしてだろうか何か違うんだ
真是乏味的風景 若你不在的話無論何處皆是如此
明明只是回到兩人相遇前 是怎麼了呢 有什麼不對勁
きっと 僕らはふたつ並んだメトロノームみたいに
刻んでいた互いのテンポは 同じでいたのに
好希望能一笑置之啊
味気ない風景だ あなたがいないのならどんな場所だろうと
出會う前に戻っただけなのに どうしてだろうか何か違うんだ
真是乏味的風景 若你不在的話無論何處皆是如此
明明只是回到兩人相遇前 是怎麼了呢 有什麼不對勁
きっと 僕らはふたつ並んだメトロノームみたいに
刻んでいた互いのテンポは 同じでいたのに
我們 定是像兩個並立的節拍器般
互相刻劃著彼此的節拍 明明該是相同
互相刻劃著彼此的節拍 明明該是相同
いつしか少しずつ ズレ始めていた
時間が経つほど離れていくのを
卻不知不覺中漸漸 開始錯開了
隨著時間流逝 越是停不住
止められなくて
分離的腳步
これから僕たちは どこへ行くのかな
全て忘れて生きていけるのかな
あなたが今どんなに 幸せでも
忘れないで欲しいんだ
從今天起我們 會何去何從呢
能否忘記一切 繼續活下去呢
即便你如今 過得多麼幸福
也願你不要忘記
分離的腳步
これから僕たちは どこへ行くのかな
全て忘れて生きていけるのかな
あなたが今どんなに 幸せでも
忘れないで欲しいんだ
從今天起我們 會何去何從呢
能否忘記一切 繼續活下去呢
即便你如今 過得多麼幸福
也願你不要忘記
僕の中にはいつも
我的心中永遠有你
我的心中永遠有你
すれ違って背中合わせに歩いていく
次第に見えなくなっていく
これからも同じテンポで生き続けたら
地球の裏側でいつか
また出會えるかな
擦身而過 背道而馳
漸漸地看不見彼此
今後要是繼續以相同的節拍過活
總有一天會在地球背側
再次相遇嗎
今日がどんな日でも 何をしていようとも
僕はあなたを愛してしまうだろう
伝えたい思いが 募っていくまま
一つも減らない僕を
無論今日是何日 無論想做些什麼
我仍會忍不住愛著你吧
想傳達的思緒 只能任其堆積
對一個也沒能消去的我
笑い飛ばしてほしいんだ
好希望能一笑置之啊
あなたがいてほしいんだ
好希望你在這裡啊
好希望能一笑置之啊
あなたがいてほしいんだ
好希望你在這裡啊
此曲收錄在米津玄師第三張個人專輯「Bremen」。曲調之所以會如此祥和,是由於沈穩的節拍建立了明確的方向,使得各具特色的樂聲不會干擾彼此,而是能夠相互扶持,一邊維持和睦的氣氛,一邊循序演奏出穩重的旋律。
如果相遇可以當作是一種風趣,那也就不需為離別準備原因,即便心裡明白這份道理,依舊無法克制對你的思緒。以理性面對過往感情,給人的態度有些淡然,然而所謂的人之常情,有時並不是光用理性就能抽離,不論再怎麼粉飾自己,也沒辦法隱藏內心的漣漪。
構成雖然簡單,卻有使人真誠相待的魅力,我想這是因為整首歌有著十分濃厚的代入感,明明是在聆聽別人述說,卻會在不知不覺中將自己投射進去,令人不禁油然升起一股閔惜。最後,你是否也是一個有故事的人呢?試著代入看看吧,或許會因此有所感悟也說不定。
以鋼琴作為改編可說是十分適合,センラ清秀的嗓音也很有穿透力。
同樣是以鋼琴作為基底,ちょまいよ的演唱則多了些滄桑感。
參考網站:
PS:前陣子嘴巴破皮,但卻找不到洞口在哪兒……