系列文章未完,等最後的時候再說明。本篇魏延文長。
本系列文章目的重於對照與吐嘈,有興趣的人也可以自行再去比對。
芙蓉
張飛舊主,某縣鴻姓縣令的女兒。代州大地主劉恢的姪女。
在劉備為媽媽去洛陽船上買茶葉,回程遭黃巾賊綁架時,與劉備相遇,
後來被張飛帶到五臺山的舅舅(劉恢)家安置。
過了好些日子,接受劉備迎娶成為妻室。
而中譯本則是把芙蓉改成「迎娶後不久因病去世」的描述。
病弱的幼子也變成了糜夫人兒子。
不過這個兒子也只提了一次就沒再提過,大概是早夭了。
總之,來個對照表。
來做個問答吧,在吉川版的長坂坡投井自盡的是哪一位夫人呢?
對照?其一
《三國志》 桃園の巻 白芙蓉 五
《三國英雄傳》桃園之卷 白芙蓉 5 (P.50、P.51)
劉備が、眼をくばると、
「いや、動かぬがよい。しばらくは、かえってここに、じっとしていたほうが……」
と、老僧が彼の袖をとらえ、そんな危急の中になお、語りつづけた。
県の城長の娘は、名を芙蓉といい姓は鴻ということ。また、今夜近くの河畔にきて宿陣している県軍は、きっと先に四散した城長の家臣が、殘兵を集めて、黃巾賊へ報復を計っているに違いないということ。
劉備的視線不禁隨聲移轉(zhuǎn)。這時,老僧驀然抓住他的衣袖說道:
「不!還是不要動,暫時先靜靜地待在此地,反而比較好些。」
雖然情況危急,但是老僧又叨叨絮絮地說了些事。
原來縣城城主的女兒姓馮,名叫芙蓉。今晚在河畔駐紮的官軍,可能就是先前失散的家臣集合殘兵,計畫對黃巾賊進行報復。
對照?其二
同巻 岳南佳人 4
同卷 岳南の佳人 四 (P.252、P.253)
もう奧の內(nèi)苑に近い。主の劉恢のいる棟やその家族らの住む棟の燈火は林泉をとおして彼方に見えるのであった。
已經(jīng)接近內(nèi)苑了。透過樹林,可以看到屋主劉恢和其家人所住的大宅正閃耀著輝煌的燈火。
「はて。これから先へゆく筈もないし」
関羽がたたずんでいると、ほど近い木の間を、誰か、楚々と通る人があった。見ると、劉恢の姪とかいうこの家の妙齢な麗人であった。
「……ははあ?」
関羽は自分の予感があたってかえって肌寒いここちがした。物事の裏とか、人の秘密とかには、むしろ面を橫にして、無関心でいたい彼であったが、つい後から忍んで行った。
「奇怪!他是不可能走到裡面去的。」
當關羽正站在那裡暗自思索時,突然看見有一位楚楚動人的女子,正穿過附近的樹叢走了過去。仔細一看,原來是劉恢的姪女。
「……啊!」
關羽立刻覺得自己的預感成真,不禁打起寒顫。對於旁人的隱私,或是所謂的小道消息,他向來很少理會,甚至可說是漠不關心,但這會兒,他卻執(zhí)意繼續(xù)跟蹤。
劉恢の姪という佳人は、やがて鮮やかに月の下に立った。辺りには木蔭もなく物の蔭もなく、ただ広い芝生に夜露が寶石をまいたように光っていた。
すると梨の花の徑からまたひとりの人影が忽然と立ち上がった。それは花の中に隠れていた若い男性であった。
「オ。玄徳さま」
「芙蓉どの」
ふたりは顔を見あわせてニコと笑み交わした。芙蓉の歯が実に美しかった。
不久,劉恢的姪女已站立在皎潔的月光下。四周不見樹影,只有寬大的草坪,夜露像寶石般閃爍著。
突然間,梨花樹下的小徑站起一個人影,是個年輕男子。
「啊!玄德先生。」
「芙蓉!」
兩人相對而視,會心一笑。但見芙蓉齒如編貝,笑燦如花。
吉川版前期劇情高潮的開始。啊不對這才第一卷而已啊。
這裡也提到了芙蓉的另外一個身分,劉恢的姪女。
對照?其三
同巻 岳南佳人 5
同卷 岳南の佳人 五 (P.257)
「……実はその、あの芙蓉娘は拙者の舊主鴻家のご息女なので、劉恢どのも鴻家とは淺からぬ関係があった人だから、主家鴻家の沒落後、おれが芙蓉娘をこの家へ連れてきて、匿っておいてくれるように頼んだお方なのだ」
「老實說,芙蓉姑娘是我故主馮家的女兒。因為馮家與劉恢的交情匪淺,所以馮家沒落後,我就將芙蓉姑娘帶到此地。」
對照?其四
臣道の巻 大歩す臣道 二
臣道之卷 大步臣道 2 (P.289、P.290)
一夫多妻を伝統(tǒng)の風習としているこの民族の中では、玄徳の室など、至極さびしいほうであった。
古代中國有著一夫多妻的習俗,像劉備這般享受齊人之福的,多得不勝其數(shù),非屬奇事。
看看那曹孟德人家妻妾成群,
玄德的到目前也才甘、糜二個(加芙蓉也才三個)而已。
不得不說,這中譯的意思完全是不同方向了吧。
甘夫人は、糜夫人より若い。沛県のひとで、そう美人というほどでもない。単に、清楚な婦人である。
美人のおもかげは、むしろ年上の糜夫人のほうに偲ばれる。
それも道理で、もう女の三十路をこえているが、青年玄徳に、はじめて戀ごころを知らしめた女性なのである。
実に今を去る十何年か前。
まだ玄徳が、沓を売り蓆を織っていた逆境の時代――黃河のほとりにたって、洛陽船を待ち、母のみやげにと茶を求めて帰る旅の途中、曠野でめぐり逢った白芙蓉という佳人が、いまの糜夫人であった。
五臺山の劉恢の家に養(yǎng)われて、久しく時を待っていた彼女は、その後玄徳に迎えられて、室に侍したものであった。
一子がある。六歳になる。
けれど病弱だった。
劉備的兩位夫人中,糜夫人年紀稍長,約三十出頭,而且是個十足的美人,她為玄德生了一個男孩,如今已經(jīng)六歲,只是自小身體羸弱。甘夫人的年紀比糜夫人來的小,乃沛縣人士,雖無豔麗姿容,卻也清麗可人,風姿綽約。
但是,在她們之前,玄德還迎娶過另一名女子,也就是玄德的初戀情人。
十多年前,當劉備還處於織蓆維生的困境中,在某次前往黃河畔,向洛陽船上的商人購買母親喜愛的茶葉時,歸途中遇上了一位名叫芙蓉的姑娘。
她原先住在五臺山的舅舅劉恢家中,後來劉備親自上五臺山提親,正式迎娶,只是不久便因病去世。
對照?其五
臣道の巻 大歩す臣道 一
臣道之卷 大步臣道 1 (P.288)
番兵が秘扉をひらいて、彼を簾外へいざなうと、玄徳の妻室甘夫人と、側(cè)室の糜夫人は、
「オオ、関將軍か」と、幼児の手をひいてまろび出てきた。
守兵為關羽打開便門,請他在簾外等候。不久,便聽聞一聲驚呼:
「這不是關將軍嗎?」
玄德的正室糜夫人及側(cè)室甘夫人,牽著幼子的手,朝關羽這邊奔了過來。
對照?其六
赤壁の巻 長坂橋 二
赤壁之卷 長坂橋 2 (P.141)
「いや……。公子のお身はおつつがありません。初めのほどは火のつくように泣き叫んでおられましたが、もう泣くお力もなくなったものとみえまする。……ただ殘念なのは糜夫人のご最期です。身に深傷を負うて、お歩きもできないので、それがしの馬をおすすめ申しましたが、否とよ、和子を護ってたもれと、ひと聲、仰せられながら、古井戸に身を投げてお果て遊ばしました」
「ああ、阿斗に代って、糜は死んだか」
「不!公子一切無恙,早先還哭個不停,大概到後來也沒有力氣哭了!……只是糜夫人卻死了。她身受重傷,我請她上我的馬,但她堅持不肯,要求我務必護送少主回來,她自己卻投身古井自盡了。」
「唉!她是代替阿斗而死的呀!」
對照?其七
同巻 殺地の客 三
同卷 自投羅網(wǎng) 3 (P.235、P.236)
糜竺はもともと外交の才があり臨機の智に富んでいる。彼は山東の一都市に生れ、家は郯城きっての豪商であった。――いまは遠い以前となったが、玄徳が旗挙げ早々、広陵(江蘇省?揚州市)のあたりで兵員も軍用金も乏しく困窮していた頃――商家の息子たる糜竺は、玄徳の將來を見こんで、その財力を提供し、兵費を賄い、すすんで自分の妹を、玄徳の室に入れ、以來、今日にいたるまで、もっぱら玄徳軍の財務経理を擔當して來たという帷幕の中でも一種特異な人材であった。
糜竺頗具外交方面的才華,又懂得隨機應變。他出身於東海郡,在家鄉(xiāng)朐縣是數(shù)一數(shù)二的富商。早先在玄德領有徐州之時,便與玄德志同道合,從旁輔佐;尤其是在討伐袁術(shù),逃亡廣陵之際,由於正值軍需匱乏,家境富裕的糜竺早已看好玄德的前途必然大有可為,經(jīng)常伸出援手,提供錢財資助軍費,甚至後來更將自己的妹妹許配給玄德。從那時候開始,他一直擔任財務大臣之職,也可以說是幕僚中一位具有特殊專業(yè)知識的人才。
本系列文章目的重於對照
芙蓉
張飛舊主,某縣鴻姓縣令的女兒。代州大地主劉恢的姪女。
在劉備為媽媽去洛陽船上買茶葉,回程遭黃巾賊綁架時,與劉備相遇,
後來被張飛帶到五臺山的舅舅(劉恢)家安置。
過了好些日子,接受劉備迎娶成為妻室。
而中譯本則是把芙蓉改成「迎娶後不久因病去世」的描述。
病弱的幼子也變成了糜夫人兒子。
不過這個兒子也只提了一次就沒再提過,大概是早夭了。
總之,來個對照表。
臺版 | 原版 | |
---|---|---|
姓氏 | 馮姓 | 鴻姓 |
與糜夫人的連結(jié) | 兩個不同的人 | 僅部分敘述為同一人,其餘不明 |
病弱的六歲幼子 | 糜夫人的 | 芙蓉(=糜夫人?)的 |
臨終敘述 | 婚後不久逝世 | 不明(or 長坂投井?) |
來做個問答吧,在吉川版的長坂坡投井自盡的是哪一位夫人呢?
對照?其一
《三國志》 桃園の巻 白芙蓉 五
《三國英雄傳》桃園之卷 白芙蓉 5 (P.50、P.51)
劉備が、眼をくばると、
「いや、動かぬがよい。しばらくは、かえってここに、じっとしていたほうが……」
と、老僧が彼の袖をとらえ、そんな危急の中になお、語りつづけた。
県の城長の娘は、名を芙蓉といい姓は鴻ということ。また、今夜近くの河畔にきて宿陣している県軍は、きっと先に四散した城長の家臣が、殘兵を集めて、黃巾賊へ報復を計っているに違いないということ。
劉備的視線不禁隨聲移轉(zhuǎn)。這時,老僧驀然抓住他的衣袖說道:
「不!還是不要動,暫時先靜靜地待在此地,反而比較好些。」
雖然情況危急,但是老僧又叨叨絮絮地說了些事。
原來縣城城主的女兒姓馮,名叫芙蓉。今晚在河畔駐紮的官軍,可能就是先前失散的家臣集合殘兵,計畫對黃巾賊進行報復。
最早對芙蓉的名字與身分作連結(jié)的敘述。
因為前一節(jié)末只提到芙蓉的身分而已,這裡省略不提。
因為前一節(jié)末只提到芙蓉的身分而已,這裡省略不提。
對照?其二
同巻 岳南佳人 4
同卷 岳南の佳人 四 (P.252、P.253)
もう奧の內(nèi)苑に近い。主の劉恢のいる棟やその家族らの住む棟の燈火は林泉をとおして彼方に見えるのであった。
已經(jīng)接近內(nèi)苑了。透過樹林,可以看到屋主劉恢和其家人所住的大宅正閃耀著輝煌的燈火。
「はて。これから先へゆく筈もないし」
関羽がたたずんでいると、ほど近い木の間を、誰か、楚々と通る人があった。見ると、劉恢の姪とかいうこの家の妙齢な麗人であった。
「……ははあ?」
関羽は自分の予感があたってかえって肌寒いここちがした。物事の裏とか、人の秘密とかには、むしろ面を橫にして、無関心でいたい彼であったが、つい後から忍んで行った。
「奇怪!他是不可能走到裡面去的。」
當關羽正站在那裡暗自思索時,突然看見有一位楚楚動人的女子,正穿過附近的樹叢走了過去。仔細一看,原來是劉恢的姪女。
「……啊!」
關羽立刻覺得自己的預感成真,不禁打起寒顫。對於旁人的隱私,或是所謂的小道消息,他向來很少理會,甚至可說是漠不關心,但這會兒,他卻執(zhí)意繼續(xù)跟蹤。
劉恢の姪という佳人は、やがて鮮やかに月の下に立った。辺りには木蔭もなく物の蔭もなく、ただ広い芝生に夜露が寶石をまいたように光っていた。
すると梨の花の徑からまたひとりの人影が忽然と立ち上がった。それは花の中に隠れていた若い男性であった。
「オ。玄徳さま」
「芙蓉どの」
ふたりは顔を見あわせてニコと笑み交わした。芙蓉の歯が実に美しかった。
不久,劉恢的姪女已站立在皎潔的月光下。四周不見樹影,只有寬大的草坪,夜露像寶石般閃爍著。
突然間,梨花樹下的小徑站起一個人影,是個年輕男子。
「啊!玄德先生。」
「芙蓉!」
兩人相對而視,會心一笑。但見芙蓉齒如編貝,笑燦如花。
這裡也提到了芙蓉的另外一個身分,劉恢的姪女。
對照?其三
同巻 岳南佳人 5
同卷 岳南の佳人 五 (P.257)
「……実はその、あの芙蓉娘は拙者の舊主鴻家のご息女なので、劉恢どのも鴻家とは淺からぬ関係があった人だから、主家鴻家の沒落後、おれが芙蓉娘をこの家へ連れてきて、匿っておいてくれるように頼んだお方なのだ」
「老實說,芙蓉姑娘是我故主馮家的女兒。因為馮家與劉恢的交情匪淺,所以馮家沒落後,我就將芙蓉姑娘帶到此地。」
張飛曾說過,他是有擁立芙蓉,再興舊主勢力的打算。
結(jié)果當然是不出所料失敗了,才跑去賣肉。
結(jié)果當然是
對照?其四
臣道の巻 大歩す臣道 二
臣道之卷 大步臣道 2 (P.289、P.290)
一夫多妻を伝統(tǒng)の風習としているこの民族の中では、玄徳の室など、至極さびしいほうであった。
古代中國有著一夫多妻的習俗,像劉備這般享受齊人之福的,多得不勝其數(shù),非屬奇事。
玄德的到目前也才甘、糜二個(加芙蓉也才三個)而已。
不得不說,這中譯的意思完全是不同方向了吧。
甘夫人は、糜夫人より若い。沛県のひとで、そう美人というほどでもない。単に、清楚な婦人である。
美人のおもかげは、むしろ年上の糜夫人のほうに偲ばれる。
それも道理で、もう女の三十路をこえているが、青年玄徳に、はじめて戀ごころを知らしめた女性なのである。
実に今を去る十何年か前。
まだ玄徳が、沓を売り蓆を織っていた逆境の時代――黃河のほとりにたって、洛陽船を待ち、母のみやげにと茶を求めて帰る旅の途中、曠野でめぐり逢った白芙蓉という佳人が、いまの糜夫人であった。
五臺山の劉恢の家に養(yǎng)われて、久しく時を待っていた彼女は、その後玄徳に迎えられて、室に侍したものであった。
一子がある。六歳になる。
けれど病弱だった。
劉備的兩位夫人中,糜夫人年紀稍長,約三十出頭,而且是個十足的美人,她為玄德生了一個男孩,如今已經(jīng)六歲,只是自小身體羸弱。甘夫人的年紀比糜夫人來的小,乃沛縣人士,雖無豔麗姿容,卻也清麗可人,風姿綽約。
但是,在她們之前,玄德還迎娶過另一名女子,也就是玄德的初戀情人。
十多年前,當劉備還處於織蓆維生的困境中,在某次前往黃河畔,向洛陽船上的商人購買母親喜愛的茶葉時,歸途中遇上了一位名叫芙蓉的姑娘。
她原先住在五臺山的舅舅劉恢家中,後來劉備親自上五臺山提親,正式迎娶,只是不久便因病去世。
好啦,這下原版出現(xiàn)了兩個問題點。
第一,芙蓉多了一個「糜夫人」的身分。
第二,六歲小孩的生母是芙蓉的。
但芙蓉等於糜夫人的敘述,也只出現(xiàn)在這個章節(jié)而已。
其他地方就沒有這樣做連結(jié),
只是個常常跟甘夫人一起出現(xiàn)的糜夫人而已。
另外,就小孩的年紀去推斷,如果婚後不久就順利做人成功,
那麼劉備跟芙蓉結(jié)婚的時間帶,
最晚大概也是落在劉備第一次入主徐州的時候。
跟真正姓糜的的那位差不多時間。
對了,臺版在前一章節(jié)似乎有個小錯誤。
第一,芙蓉多了一個「糜夫人」的身分。
第二,六歲小孩的生母是芙蓉的。
但芙蓉等於糜夫人的敘述,也只出現(xiàn)在這個章節(jié)而已。
其他地方就沒有這樣做連結(jié),
只是個常常跟甘夫人一起出現(xiàn)的糜夫人而已。
那麼劉備跟芙蓉結(jié)婚的時間帶,
最晚大概也是落在劉備第一次入主徐州的時候。
跟真正姓糜的的那位差不多時間。
對了,臺版在前一章節(jié)似乎有個小錯誤。
對照?其五
臣道の巻 大歩す臣道 一
臣道之卷 大步臣道 1 (P.288)
番兵が秘扉をひらいて、彼を簾外へいざなうと、玄徳の妻室甘夫人と、側(cè)室の糜夫人は、
「オオ、関將軍か」と、幼児の手をひいてまろび出てきた。
守兵為關羽打開便門,請他在簾外等候。不久,便聽聞一聲驚呼:
「這不是關將軍嗎?」
玄德的正室糜夫人及側(cè)室甘夫人,牽著幼子的手,朝關羽這邊奔了過來。
一個有小孩、一個沒小孩,
但這並不代表有小孩的那個就一定會被扶正變大老婆。
但這並不代表有小孩的那個就一定會被扶正變大老婆。
對照?其六
赤壁の巻 長坂橋 二
赤壁之卷 長坂橋 2 (P.141)
「いや……。公子のお身はおつつがありません。初めのほどは火のつくように泣き叫んでおられましたが、もう泣くお力もなくなったものとみえまする。……ただ殘念なのは糜夫人のご最期です。身に深傷を負うて、お歩きもできないので、それがしの馬をおすすめ申しましたが、否とよ、和子を護ってたもれと、ひと聲、仰せられながら、古井戸に身を投げてお果て遊ばしました」
「ああ、阿斗に代って、糜は死んだか」
「不!公子一切無恙,早先還哭個不停,大概到後來也沒有力氣哭了!……只是糜夫人卻死了。她身受重傷,我請她上我的馬,但她堅持不肯,要求我務必護送少主回來,她自己卻投身古井自盡了。」
「唉!她是代替阿斗而死的呀!」
如果這邊的糜夫人等於芙蓉,
在該章節(jié)沒有其他對芙蓉感情的描述下,
劉備的反應還真是讓人想揍他。
當然你要說什麼「一句話道出所有情感」也行,
總之重點全在之後當眾對阿斗家暴的那一扔上頭。
在該章節(jié)沒有其他對芙蓉感情的描述下,
劉備的反應還真是讓人想揍他。
當然你要說什麼「一句話道出所有情感」也行,
總之重點全在之後當眾對阿斗家暴的那一扔上頭。
對照?其七
同巻 殺地の客 三
同卷 自投羅網(wǎng) 3 (P.235、P.236)
糜竺はもともと外交の才があり臨機の智に富んでいる。彼は山東の一都市に生れ、家は郯城きっての豪商であった。――いまは遠い以前となったが、玄徳が旗挙げ早々、広陵(江蘇省?揚州市)のあたりで兵員も軍用金も乏しく困窮していた頃――商家の息子たる糜竺は、玄徳の將來を見こんで、その財力を提供し、兵費を賄い、すすんで自分の妹を、玄徳の室に入れ、以來、今日にいたるまで、もっぱら玄徳軍の財務経理を擔當して來たという帷幕の中でも一種特異な人材であった。
糜竺頗具外交方面的才華,又懂得隨機應變。他出身於東海郡,在家鄉(xiāng)朐縣是數(shù)一數(shù)二的富商。早先在玄德領有徐州之時,便與玄德志同道合,從旁輔佐;尤其是在討伐袁術(shù),逃亡廣陵之際,由於正值軍需匱乏,家境富裕的糜竺早已看好玄德的前途必然大有可為,經(jīng)常伸出援手,提供錢財資助軍費,甚至後來更將自己的妹妹許配給玄德。從那時候開始,他一直擔任財務大臣之職,也可以說是幕僚中一位具有特殊專業(yè)知識的人才。
這裡算是提到了糜夫人(糜竺的妹妹)的身分。