又到了櫻花開的季節。
在臺灣以鳳凰花開代表畢業,在日本就是櫻花了。好想去日本看櫻花喔
"「桜晴」は、ファンから屆いたメールをきっかけに制作された優里初の卒業ソング。"
「櫻晴」,是以粉絲所寄來的信為契機所製作的,優里的第一首畢業歌
其實我是覺得,這首歌是優里寫給自己的畢業歌啦。
寫給那個給父母添了很多麻煩,害他們操心的自己。
真的是一首非常漂亮且情感深刻的歌,從曲調到歌詞都讓我哭爆QQ
大概是因為我也曾經(?)很叛逆的關係,這首歌完全打中我XD
第一次聽就被感動到不行,第二次聽也是,第三次第四次,發現不管聽幾次都很催我的淚腺。
這首歌其實應該在母親節父親節放吧(X
我個人非常喜歡最後一段的前兩句
今日は(在這個日子裡)
うまく笑えない そのままでいいよ(無法開懷地笑 但保持現在這樣也無妨)
覺得他唱得實在太情感飽和了(?),尤其是"うまく笑えない"最後的尾音,直令我雞皮疙瘩。
說回「桜晴(櫻晴)」這兩個字。
直接google"桜晴れ(sakurabare)"查到一堆居酒屋XD,只好轉彎從"晴れ(hare)"下手,得到意外的收穫。
"晴れ"可以是"晴朗",可以是"人生中的大事",也可以指"從需要顧慮世俗貨特定人物的狀態解放",例如:畢業。這首歌直接把"晴れ"的三個意思全部用上了,我覺得滿猛的XD
好,就醬,老樣子,還請多指教了。
優里 桜晴
作詞 作曲 優里
不知道為甚麼沒辦法嵌入影片QQ
有空來翻優里給畢業生的話,當然如果有人先翻了更好(喂
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まどにせんたくものがゆれる
窓に洗濯物が揺れる
晾在窗邊那洗好的衣服搖曳著
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どこかなつかしいごごは
どこか懐かしい午後は
令人感到懷念的午後
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ははのこえがきこえそうで
母の聲が聞こえそうで
彷彿聽見了母親的聲音
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むねがいつもよりせまくなる
胸がいつもより狹くなる
心口頓時一緊
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さくらのはなびら ちるあのこうかした
桜のはなびら 散るあの高架下
在那櫻花散落紛飛的高架橋下
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ちちのせなかをおいかけていた
父の背中を追いかけていた
追逐著父親的背影
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きょうは
今日は
在這個日子裡
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うまくわらえない かなしくないのに
うまく笑えない 悲しくないのに
明明並不悲傷 卻無法開懷地笑
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ちちとははのおもかげうかぶ
父と母の面影浮かぶ
浮現出 回憶中父親與母親的面容
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ぼくのせなかをおした さくらばれ
僕の背中を押した 桜晴
輕輕印在我背上的 櫻晴
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なみだがあふれそうになるのはなぜ
涙が溢れそうになるのは何故
不知為何 眼淚似要滿溢而出
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スーパーのかいものふくろの
スーパーの買い物袋の
超市購物袋的聲響
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おととただいまのこえに
音とただいまの聲に
以及 喊著「我回來了」的聲音
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いつもとちがう ありがとうが
いつもと違う ありがとうが
和平常不一樣 「謝謝」這感謝的話語
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むねにそっとあふれてくる
胸にそっと溢れてくる
頓時從胸口悄悄地流溢
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どんなときも そだててくれたあなたと
どんな時も 育ててくれた貴方と
長久以來 養育栽培著我的您 以及
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こころなきこえにくじけたよる
心無き聲にくじけた夜
被無情的話語所擊潰的夜晚
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きょうは
今日は
在這個日子裡
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うまくわらえない かなしくないのに
うまく笑えない 悲しくないのに
明明並不悲傷 卻無法開懷地笑
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つきさすようなことばさえも
突き刺すような言葉さえも
甚至是尖刺銳利的話語
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ぼくのせなかをおしたさくらばれ
僕の背中を押した桜晴
輕輕印在我背上的 櫻晴
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あしをふみだせるんだ そうおもうよ
足を踏み出せるんだ そう思うよ
我想 我可以踏出步伐 向前邁進
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おなじうたを くちずさめば
同じ歌を 口ずさめば
同樣的歌曲 若能瑯瑯上口的話
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きっとなにかわかる
きっと何かわかる
一定能從中了解些甚麼
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にくしみとかくるしいこと
憎しみとか苦しいこと
不管那是憎恨還是痛苦
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いまはただわすれて
今はただ忘れて
現在就把他忘了吧
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きょうは
今日は
在這個日子裡
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うまくわらえない そのままでいいよ
うまく笑えない そのままでいいよ
無法開懷地笑 但保持現在這樣也無妨
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ことばをむねにゆく さくらばれ
言葉を胸に行く 桜晴
讓話語走進心中 櫻晴啊
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いまはさよなら またねでいいかな
今はさよなら またねでいいかな
如今我們相互道別 下一次再見面吧
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どんなにとおくなっても
どんなに遠くなっても
無論我們之間有多麼遙遠
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わすれたくない
忘れたくない
也絕不忘懷
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