京都アニメーションが襲われたという兇報に接し、いまでも、信じたくない気持ちが去りません。
當日は風邪で伏せっていましたが、攜帯電話のニュースで第一報を見て、重體者がいると知りました。どうか助かってほしいと息を詰めて続報を待つにつれ、犠牲者は時を追って増え続け、祈るよりほかに出來ることもなく、言葉が出ませんでした。
→接到京都動畫遇難的噩耗後,我那股「不願相信」的心情到現在依舊無法散去。
事發當天我因為感冒而臥病在床,但透過手機的新聞看見了第一報後,得知了這場火災造成了部分的人有生命危險。「希望他們都能得救。」我屏息等待著後續的報導,可犧牲者卻隨著時間愈漸增多,我除了一味地祈禱外做不到其他任何的事情,甚至就連話都說不出來。
京都アニメーションとは、アニメ「氷菓」でお仕事をご一緒しました。
私は、アニメにはまったく詳しくありません。それだけに、拙作を見込んでお話を頂けたことを嬉しく思いつつも、制作に関してはすべてお任せするつもりでいました。しかし京都アニメーション社制作陣の皆様の、一緒に作ろうという強い熱意に打たれ、及ばずながら私も準備段階に加わることになりました。
→我曾因動畫「冰菓」而與京都動畫一起工作過。
其實我對動畫並非那麼了解。光是這點,京都動畫能夠看上我的拙作並且找我商量動畫化的事就讓我開心的不得了了,因此我也打算將製作相關事宜全數交給京都動畫。然而京都動畫的製作人員們,甚是熱情地邀請我與他們一同參與製作,於是我雖然只能出些棉薄之力,但還是參與了準備階段的作業。
物語というのは得體の知れないもので、きらめきがあるお話でも、ちょっとしたことですべてが色褪せてしまいます。制作陣の皆様は、忍び寄る色褪せを退け、物語を十全に生かそうと、懸命の努力を続けて下さいました。
→由於我寫的故事都是些奇奇怪怪的東西,哪怕其中穿插了一小段較為正向的故事,也會又因為一點插曲而黯然失色。但是製作人員們,無畏那些潛伏而來的褪色,非常拼命且努力地想要讓我所寫的故事躍然紙上。
ロケーションハンティングの際に良い場所を見つけた時や、ここが小説のイメージに合う場所ですとお伝えした時など、制作陣の方々は目の色が変わって、私などはなまなかに近寄れぬ真剣さでもって資料を集めておられました。
→當我告訴他們「我在實地探勘時發現了一個很不錯的地方」,或是「這個地方和小說的印象相當契合」的時候,製作人員們的眼神就會為之一變,並以我這種人無法隨意靠近的認真態度開始蒐集起了資料。
プロフェッショナルと仕事をするのは快く、頼もしいことです。私は本業のため全ての局面で関わることは出來ませんでしたが、彼らと仕事をしている間は、私が彼らの妨げにならないかと緊張しつつも、とても楽しかったことを憶えています。
→與專業人員共事是一件讓人相當愉快且感到可靠的事情。雖然我因為本業的關係,無法參與到動畫化的每一個環節,但我依舊清晰地記得在與他們工作的期間,我即便一邊懷著「我會不會妨礙到他們啊」的緊張感,卻仍舊感到十分的開心。
アニメ「氷菓」は、京都アニメーション制作陣の皆様の奮闘が実を結び、すばらしい映像作品になりました。そして長きにわたり、広い地域で、多くの方に愛して頂いています。
→而動畫「冰菓」,便是因京都動畫的製作人員們的奮鬥不懈終於開花結果,而誕生的一部美好的影像作品。且隨著時光飛逝,也在世界各地受到了更多人的喜愛。
作品が完成すればチームが解散するのはこの仕事の常ですが、それはいつも少し寂しいことです。またどこかでお會いしましょうと言葉を交わして私は作家としての日常に戻っていき、制作陣の皆様は、次の仕事に取りかかっていきました。
→「作品完成後,製作團隊便會解散」,這雖然只是這個業界的慣例的流程,但卻讓我感到了些許的寂寞。「未來哪天讓我們再在某部作品相會吧」,我和製作人員們彼此這麼說道,便回到了我身為作家的日常,而各位製作人員也開始著手了下一份工作。
それから七年、私は自分の仕事をしつつも、京都アニメーションの皆様のことは良い思い出として折に觸れて思い出していました。
京都アニメーションから新しいアニメが発表されるたび、時には、彼らは頑張っている、私も頑張ろうと奮起し、時には、彼らが頑張っているのに自分は何だと自らを叱咤してきたのです。
離れていても、別の仕事をしていても、彼らと私は共に物語という怪物に挑む同志だと感じていました。
→而在那之後的這七年內,我依舊繼續做著自己的工作,並時不時會回想起那與京都動畫的各位一起工作的美好回憶。
每當看見京都動畫又發表了新的動畫作品時,有時我會告訴自己「他們也在努力著,我也要好好努力才行」;有時我則會喝斥自己「他們可是這麼努力呢,反觀我自己又在做什麼呢?」。
即使分隔兩地,各自做著不同的工作,我仍舊認為他們和我一樣都是不斷挑戰著名為故事的怪物的夥伴。
その彼らが兇行に襲われたと知り、友を喪った思いです。決して、決して、あんな悪意をぶつけられるようなひとたちではなかった。
物ならば直すことも出來ます。直すためにお手伝いできることも、あるかもしれません。ですが、これほどまでに取り返しのつかない犠牲に対しては何も出來ることがなく、いまもただ立ちすくんでいます。
ただ、犠牲になった方々に、あなたがたが生み出したすばらしさは永遠だとお伝えするすべがあればと思うばかりです。
負傷者の方々の怪我が少しでも軽いものであり、よく治りますように。
→當得知他們遭遇到如此慘無人道的事件時,對我來說有如喪友之痛一般難過。他們絕對、絕對不是該遭受到如此惡意的一群人。
東西壞了可以重新修好。而為了修好,說不定也有一些事是我能夠幫上忙的。但是,對於這種永遠無法挽回的犧牲,我卻什麼也做不到,至今仍舊只能呆站在原地。
但是,不幸遇難的各位,你們所孕育出的那些美好,我認為今後將永世被傳唱下去。
而受了傷的各位,只願你們的那些傷能夠儘早痊癒。
殺人者への怒りと呪いは、ここでは書かないことにいたします。
→而我那些想對殺人者傾訴的憤怒及詛咒,我就不寫在這裡了。
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只能說不愧是小說家,雖然沒有明說,
但字裡行間卻處處透露著強而有力的悲憤及惋惜。
最後甚至用「殺人者」而並非是「犯人」來稱呼那個人。
老實說,聽聞噩耗的當下,
我巴不得徒手把犯人撕碎,
可現在,無力感和悲傷卻充斥了我,
BD買了數位桌布也買了,
真的不知道還能為京阿尼做什麼了。
我會一直等著京阿尼再站起來的那一天的
──哪怕十年、二十年。