中國語という言語の表記システムは漢字である。漢字は世界中僅かな表語文字の一つで、ある程度の長所がある。例えば、発音が同じでも意味が異なった形態素の區別を協力してくれるという點である(例、中國語の「路」と「鹿」)。それに、漢字の表意特性を用い、長さの短いかつ意味を保つ単語を作ることができる(少なくとも書き言葉で)。
中國語を記す表記システムをアルファベットに置き換えると、書き言葉の中國語の造語能力は大幅に削られていくだろう。例えば、仮にある作家が「東方からの仙人」を意味する「東仙」という固有名詞を創ったとしよう。この名詞がアルファベットの「DongXian」で表されたら、読者はこの「Dong」はいったい「ひがし」を意味するか「ふゆ」を意味するか判斷しにくく、混亂してしまうだろう。
すなわち、アルファベットで中國語を記すこのパラレルワールドで、作家が曖昧性を回避するため、「DongfangXian(東の仙人)」みたいな言葉を創らねばならなく、それにより「DongjiXian(冬の仙人)」との間に意味が區別される。同時に、表記システムが意味の弁別性を消すせいで、「Dong」の発音が持つ形態素の數も減少していくだろう(この語根は一部の熟語で殘存するかもしれないが)。
書き言葉の面から見れば、漢字が賄った強力な造語能力はメリットだが、話し言葉の面ならそんなわけではない。日常で使われた漢字の數は大體2000個ぐらいだが、大多數は夥しい同音漢字があるため、発音を除き意味の面しか考慮しないと、語呂合わせの冗談が生じるリスクがある。結局、口頭で報告するとき、當該新造語の意味について詳しく説明しないといけない。
結論、漢字は書き言葉の面から見ると、非常に効率的なツールであるものの、話し言葉の視點から見たら、誤解を招く理由かもしれない。