能登小姐的專欄網址如下:
皆さん、こんにちは。
今月もこのコラムを通して皆さんにお會い出來ますこと、
大変嬉しく思います…。
と言えなくなってしまったこと。
本當に悲しく、辛く、言葉になりません。
コラムを通してお會い出來ていた方々に、お會い出來なくなっている…。
その方々の様々な狀況を思うと、存在を想うと、
今回のコラムをどう書こうか、思いが複雑すぎてただただ言葉を失うばかりです。
各位好。
這個月也可以透過這個專欄跟大家見面,真的覺得很開心…。
像這樣的話已經說不出口了。
真的讓人很難過、很痛苦,即使言語也無法形容。
可以透過專欄見面的各位,如今卻已經無法再見面…
想著他們各種不同的狀況,想著他們的存在
這回的專欄又該怎麼寫,腦中的想法也變得複雜而不知該怎麼說才好了。
東北地方太平洋沖地震で被害に合われた皆様。
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
在這次東北地區太平洋外海地震受害的各位
我真心地向受災的各位獻上慰問的話。
今、この時、皆ひとりひとりが、それぞれ自分は何が出來るだろうと強く問い掛けているのではないのでしょうか…。
それぞれの場所、立場から皆が同じ思いを持ち、考え、行動しているのではないでしょうか…。
現在這個時候,每個人是不是都在各自地問著自己能做些什麼呢…
是不是來自各種不同的場所、立場的所有人都帶著同樣的想法去思考和行動呢…
多くの報道に觸れながら、とても印象的だったのが
被災地の方々の聲の中で、他者を思い遣る言葉の多さでした。
雖然接觸了眾多的報導,最讓人印象深刻的是
在災區聽到的各種話語裡面,擔心他人的話是最多的。
皆さんもそれぞれに大変なはずです。辛いことも多いはずです。
様々なお聲がありましたが、他の人達を思い遣る気持ち、感謝の気持ち、
前を向こうとされている気持ちの多さに私は人は繋がっていると、強く強く感じました。
大家應該也遭遇到各種不同的嚴重情況,應該也有不少苦痛的事吧。
雖然有著各種不同的聲音,擔心別人的心情、感謝的心情、想要繼續前進的心情之多,也讓我強烈地感覺到人們是相連在一起的。
暖かい、何か言葉には表し難いものが込み上げてきました。
決して〝己?では完結できない深い連帯感を人は皆本能的に持っている…。
相手の思いに感応する力、我が身に寄せる力、我がことのように感応する力…。
感じるからこそ理解できる、理解し合える。
支え合っていこうとする…。
既溫暖,言語又難以表達的東西湧上心頭。
人們絕對都本能地有著無法“自己”結束掉所有事情的深厚群體關係…
感受著對方想法的力量、對自身所寄予的力量、像自己的事情般感知的能力…
正因為能夠感覺所以才能理解,互相瞭解
並且互相支持下去…
そういうものが、人間の中には組み込まれているものではないか…と思いました。
それは最後の最後は國境なども越え、〝人間?という単位にまで広がる気がします。
人には様々な側面があって、それは決して美しい部分ばかりではないと思います。
でも人は素晴らしい部分、暖かい部分もたくさんあって、それを汲み上げていける
選択していける生き物だと思いました。
我想像那樣的東西,是不是也能在人類之中組織起來呢?
它在最後的最後就連國境等也能跨越,能以名為“人類”單位擴散開來。
人們有各種不同的面相,我想那絕對不是只有美好的部分存在而已。
但是人們有許多美好的部分、溫暖的部分,我想人類是會採用它們並加以選擇的生物。
深い深い悲しみの中で、希望の光の様な…。
人の暖さ、溫もり、連帯感、優しさ、尊さ、素晴らしさを感じました。
話が前後するといいますか、交錯しているかもしれませんが、
私自身は日が経ち、様々な報道にずっと觸れながら自分の無力感も感じていました。
〝何かしたい?という思いばかりが先立ったこともありました。
大変な方々、苦しんでいる方々が多勢いる中で、こんな風にすごして良いのかな…と
思ったこともありました。
〝電気?に対しての意識がまだまだ低かったことも気付きました。
在最深處最深處的悲傷之中,像希望之光那樣…
我感覺得到人們的暖意、溫暖、群體關係、溫柔、珍貴與美好。
我的話在這裡可能有些前後顛倒,甚至順序有些交錯著。
我自己在經過這些日子,在接觸了各種不同的報導之後,感覺到了自身的無力感。
有時“想要做點什麼”的念頭也總是突然地冒出來。
有時也會想到現在還有那麼多人正在受苦,我卻仍然用這樣舒適的方式過日子,這樣真的好嗎?
在這時候,我也注意到對於“電力”的認知,還是相當粗淺的事實。
様々なことを感じ、考え、一巡りし、辿り著いた場所は〝忘れないこと?〝祈り?
そして〝日々を丁寧に生きること?〝自分の場所で、自分の場所からやれることをする
還していく?ということでした。
去感受、思考、再來回重複著,最後到達的地方是“無法忘記的事”還有“祈禱”
然後這就是“每一天謹慎地生活著”與“在自己的地方,從自己的地方開始做自己做得到的事然後報答回去”的事(不確定)
大きく捉える目も大事です。
でも、まずは、小さな単位でも自分の日々の営みの中から結果、繋がっているものは本當に多く様々あります。
気付いたら見つめ直し、考え、やれることの中で取り組むこと…。
感謝してひとつひとつ丁寧に、繋がる先を想い還していくこと、納めていくこと…。
そして、人はどうしても〝慣れる?という言葉が適切かどうか分かりませんが
心に刻まれたものが弱くなっていく部分があるように思います。
でも、忘れないこと。
今、この時も、その人達の時間と共に生きていることを忘れないこと、感じ続けていくことが大切である様に思いました。
その気持ちは祈りに繋がります。
不要過於認真看待每一件事情是很重要的。
但首先,就算只是從很小的單位經營自己的每一天,能夠產生關係的東西也是很多樣的。
注意到的時候就重新審視、思考,並從自己能做的事開始採取行動…
用感謝的心情一個一個仔細地把跟自己有關係的人們回想、整理一次…
然後,不管人對“習慣”這個詞是否瞭解,我想現在人們心中確實有因為刻苦銘心而變得脆弱的部分。
不過,別忘了。
現在這個時候,不要遺忘和這些人共同生活的時光並持續地感受著是很重要的。
那樣的心情和祈望是一體的兩面。
私はもし、逆の立場であれば、多くの人達が自分達を想いながら生きてくれている、
勵ましを屆けてくれていると思うとそれだけでもとても心強くなれる気がしました。
祈りは連帯に、皆がひとつであることに繋がります。
そこから生まれるものの多さ、未來の光を私は願ってやみません。
站在相反的立場,如果多數人都還想著自己的事而活著我覺得是很好的。
只要想到他們正把鼓勵的話送到耳邊,如此便覺得安心踏實許多了。
祈禱會連帶地,讓所有人合而為一連在一起。
有那麼多的生命從那之中誕生的話,那我也會為未來的光明繼續祈禱。
そして、最後になりましたが、長くやらせて頂いたこのコラム、
次回が最終回になります。
アボコムさんのこの場所でこうやってお伝えさせていただくのは次回が最終回になりますが、いつまでも、変わらずに想っています…。
皆様のことを…。
然後,雖然到了文章最後,下回也是這個寫了許久的專欄最終回了。
AVOCOM提供的這個地方只能讓我把心情傳達到下次,不過這份思念是永遠不會變的。
そして、長くこのご縁を下さったアボコムさんに心から感謝致しております。
ありがとうございます。
皆様、又、次回、お會い出來る時まで…。
然後,向給了這麼長一段緣份的AVOCOM致上感謝之意。
真的很謝謝你們。
各位,下一次再見面的時候再見了…
不愧是專欄……詞彙應用的程度跟網誌完全不一樣(倒)
雖然有許多詞彙還得問老師才能順利讀懂,不過如今可以知道能登小姐的想法,
總覺得很高興。
昨天(2011年4月7日)宮城縣又發生7.4級強震,但願不要再有災情傳出了。
題外話……
從大二收看到現在,AVOCOM的專欄也終於要結束了,有點捨不得呢……希望
能登小姐還會有機會繼續寫別的專欄。